いまから42年前のきょう、1975年4月4日、のちに世界最大のコンピュータ・ソフトウェア会社となるマイクロソフトが、プログラマーのビル・ゲイツ(19歳)とポール・アレン(22歳)によって設立された。

70年代前半の頃のゲイツ(左)とアレン(右) ©getty

 その前年の74年末、MITSという会社が、世界初の量産パーソナルコンピュータ「アルテア8800」を発売していた。ゲイツとアレンは、プログラミング言語(プログラムを作成するための言語)の一種であるBASICをアルテア用に書き換え、MITSに売りこむことを思い立つ。もっとも、ゲイツもアレンも、このときアルテアなど持っていなかった。彼らは肝心の製品に一切触れることのないまま、ゲイツが当時在学したハーバード大学のコンピュータ研究室に泊まりこみながら、8週間でBASICを書きあげる。それをアレンがニューメキシコ州にあるMITSまで持ちこみ、アルテアで作動することを確認した。

 このあと、ゲイツたちはパートナーシップという形で会社を設立。「マイクロプロセッサ」と「ソフトウェア」という語を組み合わせたマイクロソフトという社名は、75年7月のMITSとの正式契約を機につけられた。この社名が初めて刊行物に載ったのは、『コンピュータ・ノーツ』76年2月号に、ゲイツが「ホビーイストたちへの公開状」と題して寄稿したときだという(ポール・アレン『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』夏目大訳、講談社)。その内容は、BASICをユーザーたちが勝手にコピーして無料で配っていることに抗議するものであった。当時の多くのコンピュータ愛好者には、「ソフトウェアは知的財産である」という認識がまだ希薄だったのだ。マイクロソフトはそんな時代にあって、ソフトウェアだけを武器に、コンピュータ市場というフロンティアに漕ぎ出したのである。

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「ソフトウェアは知的財産である」 ©getty

 マイクロソフトは81年、開発したOS(オペレーティングシステム)「MS-DOS」が、世界最大のコンピュータ会社であるIBMのパソコンに採用されたのを機に法人化した。アレンは83年にいったん退社したのち90年に復帰、2000年に再び退社する。現在はべつの会社を経営するとともに財団を運営し、スポーツ・音楽・科学など幅広い分野で寄付や援助を行なっている。

 ゲイツも2008年に経営の一線から退くと、やはり財団を設立し、慈善事業に力を注ぐようになる。その後14年には非常勤の会長職からも引退した。翌15年のマイクロソフト設立40周年に際しては、全社員にメールを送り、そこで「技術の力を誰もが利用できるようにするため、人々が相互につながるため、パーソナルコンピューティングがどこにいても使えるようにするために、自分に何ができるかを考えてほしい」などと呼びかけたことが話題を呼んだ。

アレン(左)がオーナーを務めるNBAポートランド・トレイルブラザーズの試合を観戦するふたり(2004年) ©getty