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フジモンが素人時代に聞いた、忘れられない松本人志の「笑い声」

“テレビっ子”藤本敏史が語るテレビのこと #1

モテたくて「ウンコ、チンチン」は封印

――思春期になると、そういうことをするのがちょっと恥ずかしくなったりする人もいるというんですが、藤本さんはどうでしたか。

藤本 中学になってからは、『オレたちひょうきん族』に移行しましたね。やっぱり女子の目線が気になってウンコとかチンチンとかではね、あまり女子が笑ってくれないから。でも(ドリフも)まだ、内心は好きなんですよ。

――ウンコ、チンチンと言いたいんだけど……

藤本 言いたいんですけど、それはちょっとね。女子にはウケないんだなというのが実際あったので、やっぱり大人ぶりたいというのが、中学生くらいになるとあったんですよねえ。それで笑いを取るのは恥ずかしいっていうのはありましたね。あの当時、中学・高校の頃は、まだお笑いの面白い奴の地位が低かったんですよね。やっぱりスポーツができるとか、そういうのがモテてたんですよね。

 

――いまだと、面白い人がモテるっていうのがありますけどね。

藤本 そうですね。面白い=カッコいいとか、つきあいたい人の条件に入ってきたりしますけど、その頃はなかったですから。だから僕は、陸上部だったんですけど、陸上をめちゃめちゃ頑張りましたね。朝礼の時とかに、大会で優勝したりすると表彰されたりするので、それを目指してました。まずここをしっかり押さえて、ただ面白いだけではダメなんだという。

――結果、モテましたか?

藤本 全ッ然モテませんでした(笑)。何人かには告白されたけど、モテてるという感じではなかったですね。

――いや、学生時代に複数の女子から告白されるっていうのはモテてるんだと思いますけど。

藤本 それは努力して、努力して……、スポーツも、笑いも頑張って、やっとという感じだったんで。それで全くモテへんかったら、どれだけモテへん奴やねんとなるので(笑)。どうしてもかっこつけたい感じはありましたね。でも、僕の中では面白いがモテる要素の一つになったらいいなというのは、どこかであったかもしれないですね。すごい昔から好きだったので。

――今の時代だったらモテモテでしょうね。

藤本 いやどうでしょうねー。その前にフェイスがちょっとついてきてないので(笑)。もうちょっと歳いってから気づいたんですけど、これは顔やなと。顔がモテてないんやと。気づいてから、もっと努力しましたけどね。フェイスで勝負できないし、スポーツも無理やったから、お笑いでと。

『4時ですよ~だ』「出るから見とけよ」って吹いて吹いて

――ドラマは見てましたか。

藤本 ドラマもけっこう見てた方ですけど、やっぱりどちらかというとバラエティ寄りでしたねえ。昔、関西で子供向けのドラマがあったんですよ。阪急が親会社の映像会社(宝塚映像)があったんですよ。それが夕方に30分くらいでやってたんですよ。『はずめ!イエローボール』というテニスのドラマとかあったんです、そういうのを見てましたね。

――それはホントに子供向けという感じ?

藤本 そう。子供向けで、女子のサッカーのドラマとかもやってたんじゃないかなあ。恋愛ドラマは、もうちょっと大きくなってからですね、見てたのは。やっぱりバラエティのほうが好きでしたね。

――バラエティは、ドリフや『ひょうきん族』以外では何を?

藤本 やっぱりダウンタウンさん、今田(耕司)さん、東野(幸治)さん、石田(靖)さんらが出た大阪の『4時ですよ~だ』ですね。

――どんなところに惹かれましたか。

藤本 (心斎橋筋)2丁目劇場という大阪にある劇場から、いつも生放送をやってたんですけど、夜からは、ちょこちょこ普通にライブもやってたんですよ。で、『4時ですよ~だ』を見て面白いなと思ったから、やっぱり生で見たいなと思って自分でチケット獲って行くじゃないですか。凄いんですよ、女の子の声援が。お笑いって、こんなにキャーキャー言われるんだというのを目の当たりにしたんですよね。お笑いってモテる、カッコいいんだと。出待ちとか、入り待ちも凄かったですからね。下にお店とかあったんですけど、お店に迷惑がかかって、「ここでたむろしないでください」とかって貼り紙が出るくらい。出待ちの子が落書きとかしちゃうんですよ。「松ちゃん、最高!」とか。やっぱりモテなかったから、ちょっと邪な気持ちですけど、お笑いでモテるんだって分かったのが、僕の青春時代の衝撃でしたね。

 

――実際、素人時代に番組に出られてますよね。

藤本 『4時ですよ~だ』の、身内とか友達とかの不幸話をお笑いにかけて、ケンカ口調のタイマン形式で素人が出てきて、トーナメントで優勝を目指すみたいなコーナーに出たんです。審査員がダウンタウンさんで司会が今田さんなんですよ。「うちのおかんな、この前なんとかして、こうやったんぞ」みたいなことを喧嘩口調で言い合う。それに僕が応募したら出れたんですよ。一回戦は勝ったんです。それで決勝。そこでふと我に返ってしまうんですよ、僕。憧れの人を目の前にして、フワーってなってしまって。それまでは、目の前の相手しか見えなかったんですけど、一回やったら変に冷静になってもうて、逆にめちゃめちゃ緊張してしまって……。ボケをまったく入れずに、「うちのお婆ちゃんな、家に帰ってこないから探しに行ったら、道端でうずくまっとってんぞ」とただ普通に話した(笑)。会場シーンとなって、松本さんも、あまりにもシーンとなったから笑うみたいな。その笑い声が忘れられないですよ。その後も用意してた話があったんですけど、頭が真っ白になってしまってまったく出てこない。テレビ初の苦い思い出ですね。

――出る前は自信はあったんですか。

藤本 めちゃくちゃ自信ありました。高校のクラスメイトに「出るから見とけよ」って吹いて吹いて(笑)。やってる最中も「次、決勝や、明日俺ヒーローになれんで! 学校に行ったら、好きな子も、俺に一目置くんちゃうか」みたいに……。

――シミュレーションして(笑)。

藤本 それも相まって、そんな感じになってしまったんですよ。もう恥ずかしい! 次の日ね、ほんま午後から学校に行きました(笑)。

――切ない(笑)。

藤本 恥ずかしくて行けなくて、何を言われるかわからんって。みんな聞いてくるんですよ、「あれ、どういうこと?」「何あれ、普通のこと言ったん?」みたいに聞いてきたから、ヤバいと思って。「あれな、テレビではスタッフがこれ言えって言うねん」みたいな(笑)。言わすわけないのに、あまりにも恥ずかしくてスタッフのせいにしたのを覚えてます。