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フジモンが素人時代に聞いた、忘れられない松本人志の「笑い声」

“テレビっ子”藤本敏史が語るテレビのこと #1

鶴太郎さんが「フジモン」と呼んでくれたんですよ。うれしくて鳥肌立ってもうて!

――そういうトラウマになるようなことがあっても、それでも芸人になろうと思ったのはどうして?

藤本 やっぱり捨てきれなかったんですよね。『4時ですよ~だ』とかを見てて、2丁目劇場に足を運ぶようになって、どうやったら吉本に入れるかというのも自然に知ることになるんですよね、いろいろチラシとかを見て。で、ダウンタウンさんがNSCの名前をテレビで言ったりするから、その時はまだネットとかも普及してなかったから自分で足を運んで調べて、NSCに入るって決めましたね。やっぱり、お笑いがほんとに好きやったんで、どうしても携わりたいというのがあったんです。

 

――その頃は、将来どういう人になりたいっていうのはあったんですか。

藤本 どういう人というのは、あまりなかったですけど。僕、ミーハーなので、ダウンタウンさんとかの側に行きたいというのが、ほんとにあったんですよ。

――純粋に。

藤本 だからその当時、2丁目劇場に出ていた芸人さんが街をウロウロしているのを見つけて、僕、ある程度の距離を置いてずーっとつけていったことがあります(笑)。

――その時、ついていった芸人さん、覚えてますか。

藤本 分からないと思いますけど、まるむし商店の磯部(公彦)さんです。

――貴重な情報です(笑)。

藤本 テレビで見た人とちょっとでも喋ってるというだけで、僕はスゴく感動してしまうんですよね。だから、とりあえず一緒の舞台に立ちたいとか、お喋りしたいとかが一番にありました。『夕焼けニャンニャン』も大好きで、おニャン子クラブも大好きだったんですけど、東京のお笑いにも憧れたんです。とんねるずさんとかめちゃくちゃやってるところがありましたけど、ちょっとオシャレに見えたんですよね。セットとかに金をかけてるとか、そういうのもあると思うんですけど、着てる服とかもオシャレで、なんか洗練されたという感じがしたんですよね。だからいまだに国生(さゆり)さんとか、おニャン子クラブのメンバーの人に会うと、俺めっちゃ憧れてたな、スゴいなって思うんですよ。「普通に喋ってる!」って。志村さんも一回お食事に誘ってもらったことがあるんですけど、「うわ、志村さんや!」とか。普通に喋ってるんですけど、ふと我に返ると小学校の時に一番憧れていた志村さんやと。

 

――真似もしてましたし。

藤本 それを本人の前では言えないんですけど、言いたい気持ちを抑えたりもして……。だってなんか気持ち悪いじゃないですか、「僕、志村さんのこと大好きなんですよ」ってあんまりグイグイ言うのも逆に。だから志村さんの前では、いろんなエピソードトークをしたのを覚えてますね。志村さんが笑ってくれたら、それでいいみたいな。今、憧れの人とお仕事するのをコンプリートしてる最中です。ダウンタウンさんとか、今田さんとか、吉本の人とか、とんねるずさんとか、夢は叶い続けてます。

――だいぶコンプリートされて来てますよね。

藤本 そうですね。この前も(片岡)鶴太郎さんとご一緒させていただいて、鶴太郎さんが「フジモン」と呼んでくれたんですよ。一人で僕もう鳥肌立ってもうて!

――いい話! ホントにファンのまま芸人になった感じなんですね。

藤本 「うわー、『ひょうきん族』で見てた鶴太郎さんがフジモン言うてくれてる! なにこの状況!」って。一人で内々に感動してたんです。そこからタガが外れたように、鶴太郎さん、これ好きだったんですよって、ダムの崩壊のようにもうどんどん話してしまって。(明石家)さんまさんとも、たまに番組の打ち上げとかでご一緒する時にも、たまらなくなるんですよね。ミーハー気質なので『ひょうきん族』のあれはどういうことなんですかとか、小学生の時に分からなかったギャグの意味とかを聞いてしまうんです。そういうのが、たまらない時間ですね。

 

ふじもと・としふみ/1970年大阪府寝屋川市生まれ。NSC大阪校8期生。89年、原西孝幸と「FUJIWARA」結成。

写真=榎本麻美/文藝春秋

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