「WOLS」と書いて、ヴォルスと読む。ピカソやマティスほどには名が浸透していないものの、20世紀の美術史に名を残すアーティストのひとりであり、没後半世紀以上を経た今も、その作品はまったく古びるところがない。
彼の活動の全体像を辿れる展覧会が、千葉・佐倉市のDIC川村記念美術館で始まった。「ヴォルス―路上から宇宙へ―」。こうしてまとまったかたちで作品群を観られる機会は希少。池や並木を含む広大な敷地を有する同館、散策も込みで訪れるならこの季節がぴったりだ。
非定形=かたちを持たない抽象画を確立
ヴォルスの作品が新鮮さを保ち、今を生きる私たちに直接訴えかけてくる理由は、いくつか思い浮かぶ。まずは彼の作風が、自身の感情をそのままぶつけるものであること。ヴォルス作品の中核を成すのは、抽象的な絵画や版画であり、画面上にはっきりとしたかたちを結ばないものが多い。
目を閉じたとき、まぶたの裏側にもやもやとかたちにならぬものが浮かぶのを、ぼんやり観察したことが誰しもあるのでは? ヴォルスの絵は、あのもやもやを画面に写し取ったかのよう。フランス語で非定形を意味する「アンフォルメル」という芸術潮流の先駆者として、彼の名が挙げられる所以はそこにある。
名状し得ぬものを絵にすることを繰り返して、彼はいったい何を描き表そうとしたのか。おそらくは、自分の内側から湧いては消える感情そのものに、かたちを与えんとした。
古来、人は外界の事物を写し取って絵を描いてきた。写すことで対象への愛を表したり、事物に何らかの思いを託したのだ。ヴォルスはそんなまだるっこいことはせず、感情をそのまま画面に叩きつける方法を選んだのだった。
たしかに人の内面には、まとまった意味を持たずかたちもなく、もちろん言葉にもならない、マグマのようにどろどろとしたものがたぎっていたりする。それが少し冷めて表面上に浮かんでくると、おぼろげに意味やかたちを有するようになり、言葉で説明できるようなものになる。ヴォルスはマグマが固まるのを悠長に待たなかった。
どろどろのままの感情を、無理やり引き出してきて画面に定着させた。人の感情の揺れ動き方は半世紀やそこらで変わったりしないから、時代も土地も異なるところで生きる私たちにも、ヴォルスの絵はすぐ共鳴できるのだ。
写真も水彩も油彩も。ジャンルを軽々と超える
ヴォルスをきわめて「今日的」だと感じるもうひとつの理由には、彼がジャンルを軽々と超えて創作を続けたことが挙げられる。ドイツ生まれの彼がアーティストとして活動したのは、1930〜40年代にかけてのこと。キャリアの初期には写真家として世に出た。
のちに抽象画を描くことになるのを考えれば、目の前の具体的なものを撮る写真でスタートしたのは意外な感もあるけれど、彼は実際のところずいぶんと売れっ子の写真家として鳴らした。
移り住んだパリの情景や、ジャック・プレヴェールやマックス・エルンストといった交流のあるアーティストのポートレート、変わったところでは鶏肉やうさぎ肉、玉ねぎといった食材をオブジェのようにして撮り、卓越した画面構成力を示した。
いっぽうでヴォルスは水彩画や油彩画も手がけるようになり、さらには銅版画も多数残している。情報が遍在して表現方法が多様化している昨今は、ひとつのジャンルに凝り固まってそこに安住していてはつまらない。
垣根を作らず、気兼ねなく越境を繰り返し、ひたすら表現者であろうとするヴォルスの柔軟性ある態度は、現代の私たちにとっても手本となり得るものだ。
激動の20世紀を背負った芸術家
ヴォルスが私たちに「響く」理由をさらにもうひとつ挙げれば、ヴォルスの生涯にはストーリーがあって、感情移入しやすいのがいい。
1913年にベルリンの裕福な家庭で生まれた彼は、ヴァイオリンや水彩画に才能を発揮しながら育つ。が、愛する父親を亡くしたことを機に自分の道へ踏み出し、パリに出る。
写真家として名を成すも、第二次世界大戦が始まったことにより、フランス在住のドイツ人たるヴォルスは、収容施設に収監されてしまう。その過程でカメラを失い、彼は絵筆をとった。収容施設で描かれた水彩画の数々には、幻想的なイメージが強く現れる。移動もままならない環境で、彼は自身の内面へと深く、深く潜っていったのか。
釈放された後、彼は南フランスを転々として創作を続けたが、38歳という若さでこの世を去ることとなった。激動の20世紀のなかでも、とくに苛烈だった時代を生きて、世の流れに翻弄され続ける生涯だったと言えそうである。
彼の本名は、アルフレート=オットー=ヴォルフガング・シュルツという。ペンネームのヴォルスとして生きて残した足跡を、今展ではたっぷり観る事ができる。会場への行き来も、会場内での観覧にも、ゆったり時間をかけて味わいたい。