それでは応用編に行ってみたい。「穴埋め川柳」である。五七五のフォーマットのなかに虫食いがあるのだ。
ふ□□け□か□□と□□□み□□□と
ご察しの通り元は松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」なのだが、こういうふうに虫食いにすると、全く違う文字を埋めてゆきたくなるのが人情というものだ。特に「ふ□□け」という文字列を見て、「ふりかけ」と入れたくならない日本人ははたして存在するのだろうか?
ふりかけ□か□□と□□□み□□□と
「ふりかけをかけて……」とつなげたくなってしまうところだが、ここで「と」である。一字だけで取り出されていると、「飛び込む」という動詞の頭文字ではなく、どうしても助詞の「と」として見てしまいたくなる。つまり「か□□」を名詞にしたいのだ。ふりかけと関係のある「か」で始まる3文字。そうだ、「かつお」だ。
ふりかけのかつおと□□□み□□□と
「と」の後には3文字の名詞が入れば何でもいいわけだ。「わさび」でも「たまご」でもいい。2文字の名詞+1文字の助詞という組み合わせだって出来る。たとえば「のりが(海苔が)」とか「ごまを(胡麻を)」とか。まったく違う発想からいえば、「おれの(俺の)」だっていい。ここは自由度が高い部分だからひとまず置いておいて、結句の5文字に行ってみよう。どうとでもなる部分はあえて後回しにするのが、この遊びのコツだ。
ふりかけのかつおと□□□み□□□と
そして最後の5文字。ここに「(み□)□(□と)」という構造の言葉を入れてしまうのは、原作の「水の音」に引っ張られてしまっているみたいでなんだか嫌だ。かといって「(み□□□)(と)」のパターンだと、「と」がとても使いづらくなる。「みごとだと(見事だと)」でも形になるけれど、なんだか美しくない。だって、最後を「と」で締める必然性をあまり感じないもの。「と」で締めると「見事だと聞いたのだ!」と強調するニュアンスが生まれるけれど、その感動がいまひとつこちらに伝わりづらい。
どうせなら、「み」で始まり「と」で終わる5文字の言葉があったらいい。それがあったらここがビシッと決まる気がする。何かあるか、何かあるか。「と」で終わる言葉……トマト。ミニトマト! ミニトマトがあるじゃないか!
ふりかけのかつおと□□□ミニトマト
そして最後に、後回しにしていた3文字を埋める。ここは何を入れたって構わないのだから、ミニトマトが引き立つような変な言葉にしてみよう。「赤いミニトマト」だったら当たり前すぎる。読み返してみたら食材が二つ並んだ構成になっているのだから、単にミニトマトを説明したってレシピの一節になってしまうだけなのだ。それじゃ面白くない。いっそのことここで突然我を出してみるのもいいのではないか。そういえばさっき、「おれの(俺の)」という案が出ていたな。
ふりかけのかつおと俺のミニトマト
なんだか家庭菜園で育てたミニトマトに異常に思い入れを抱きながら料理している人みたいになって、ちょっと面白い。これを私の「穴埋め川柳」としよう。でも期せずしてかつおとトマトという夏の季語が入り込んできたので(普通は二つも季語は入れないんだけど)、「穴埋め俳句」と言ってしまってもいいかもしれない。「いやいや、こんなものより俺が考えたやつのほうがよっぽど面白い」と思うのは、もちろん大歓迎だ。そうやって互いの「穴埋め」をぶつけてゆきたい。
しかし、これの原作が「古池や蛙飛び込む水の音」であることに気づく人は、さすがにいないだろう。いちおうは17文字のうちの6文字が、位置も変えずにそのまま活用されているのだけれど。