1ページ目から読む
4/4ページ目

 俳句にしても短歌にしても、五音と七音で切れる句で構成されているため、句ごとにばらばらに分解することが出来る。大学の短歌会(いろんな大学に短歌のサークルがあるのだ)の新入生歓迎会など、短歌を始めて間もない人がその場にいるときなどに、ちょっとした遊びとして「短歌ゲーム」をすることがある。個人的にはもっと内容をうまく表した適当なネーミングがあるんじゃないかと思っているのだが、なんとなくこれで定着してしまった。

 ルールはいたって単純だ。人数は3人以上(多ければ多いほどいい)。まず、五音の言葉2つと七音の言葉3つを、その場の思い付きで紙切れに書き込む。あくまで思い付きなので、それぞれの言葉につながりがある必要はない。たまたま目に入ったものの名前とかでいい。さらに五音グループの箱と七音グループの箱を2つ用意し、紙切れを箱に入れてかき混ぜる。そして一人ずつ、五音ボックスから2枚、七音ボックスから3枚ずつ引いてゆく。その5枚が「手持ちのカード」となり、順番を入れ換えて五七五七七の短歌定型に当てはめていくのである。もちろん、五七五だけにすれば俳句バージョンに出来る。

 使う言葉は「手持ちのカード」だけに限定されているが、それをどう組み合わせるかはあくまで引いた人の胸三寸次第である。ゼロから言葉を生み出す必要はないけれど、少しばかりのクリエイティビティが試される。そしてそれぞれ完成させた後は、出来上がっためちゃくちゃな短歌をむりやり解釈してみるのである。私の参加している北海道大学短歌会の新歓で、実際に「短歌ゲーム」が行われたときに完成した歌をいくつか紹介してみよう。いずれも学生たちの作品。

ADVERTISEMENT

さよならとヒグマを食べたヒトラーとSTAP細胞白くかがやく
ラーメンの延長時間に立っていた牛の鳴き声呼び出しちゃおう
女装してでろんでろんの新宿の母ペリカンよ静かにしなさい

 ええ、もうめちゃくちゃですね。解釈のしようがないですね。でもしなければならないのです。だってこれは日本語なんですから。意味を持った日本語なんですから。「意味不明」ではないのです。「意味不明」とか言い出すのは、日本語ネイティブのくせに日本語のイメージを構築する能力を失った負け犬です。「さよならとヒグマを食べたヒトラー」の顔が思い浮かぶ以上、それは意味がわかっているということなのです。「ラーメン」と「延長時間」という言葉をそれぞれ知っている以上、「ラーメンの延長時間」は解釈可能な言葉なのです。

 ちなみに3首目はおそらく「新宿の母」が七音ボックス、「ペリカンよ」が五音ボックスに入っていたフレーズなのだけれど、あえてひっくり返してシンコペーションのようなリズムにしている。このかたちでもちゃんと三十一音なので問題はない(短歌ではよくあるテクニック。この組み合わせにした人が相当作り慣れていることがうかがえる)。

 なお、「手持ちカード」の5枚のうち任意の枚数を「山」と交換できるというルールが導入されることもある。ポーカーのようなルールで短歌を作るわけなので、名称は「ポー歌」。なお同じルールで俳句を作る場合は「ポー句」。名前だけ見るとゲームではなく豚肉になっている。