いまから90年前のきょう、1927年4月12日、中国・国民党の蒋介石が、上海で反共クーデターを起こした。これは「上海クーデター」「4・12クーデター」とも呼ばれる。

 この時期までの中国は軍閥が割拠し、孫文から蒋介石に引き継がれた国民党政権(国民政府)も、あくまで中国南部の広東の一地方政権にすぎなかった。国民党は1924年に共産党と提携して革命勢力を結集(国共合作)、中国統一のため北方軍閥の打倒(北伐)を図る。蒋介石のもと国民革命軍が養成され、1926年より北伐を開始した。同年中には南方の6省を攻め取る。

蒋介石 ©getty

 共産党は、北伐が始まると農民を組織化した糾察隊を編成するなどして、勢力を拡大していく。上海では共産党の影響のもと労働者が武装蜂起を起こし、軍閥・孫伝芳の軍を駆逐するほどだった。蒋介石率いる国民革命軍は、それを背景に1927年3月21日に上海、さらに24日に南京に入城し、長江(揚子江)中流以南を支配下に置く。

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 だが、この間、27年1月に国民政府が武漢に移転したのと前後して、革命勢力の内部では対立が深まる。蒋介石と国民党右派は、力を強める共産党および国民党左派から権力を奪うべく、ついにクーデターを起こすにいたった。そこには、共産勢力による革命を望まない欧米各国や日本を含む列強の意向も働いていた。

1970年の蒋介石 ©getty

 クーデターにともない、糾察隊は武装解除され、共産党員や労働組合の活動家が一斉に逮捕された。翌13日、上海の労働者が抗議のストライキやデモを行なったが、蒋介石はこれを弾圧、多数の死者が出る。こうして共産党と訣別した蒋介石が、国民党左派が中心の武漢政府に対抗して南京に独自の国民政府を樹立したのは、クーデターから6日後の4月18日だった。9月には武漢の国民党左派と再統合して権力を確立する。

 蒋介石は北伐を一時中断を経て28年4月に再開、日本の第二次山東出兵(済南事件)による妨害を受けながら、最後まで敵対した軍閥・張作霖を破り北京を占拠した。日本は無用となった張作霖を爆殺したが、その息子の張学良は同年末、国民政府に服す。ここに北伐は完了、蒋介石の国民政府は中国統一をはたした。