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「そうなのよ。ドッジボールの時なんか、もう大変。みんな燃えちゃって。殺気すらはらんじゃって」

「すごいのねー」

「すごいのよー」

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「樋口一葉の『たけくらべ』の横町組と表町組のケンカみたいだね。場所も上野で近いしね」

 などと言い合いながら、私とK子は鼻水垂らして笑い泣き。

 貧乏の子は親の人生をもろにかぶる。ドッジボールが殺気を帯びてしまったのは、それぞれが自分と自分の親への誇りを賭けてしまうような気持になったからではないか。大げさに言えば「代理戦争」みたいに。

 私は高校までずうっと公立だったから、さまざまな階層の子がいたはずだけれど、そんなにハッキリと格差を実感したことはなかった。金持とも貧乏とも言い難い、ほんとうに平均的な標準的な家の子が多かったせいかもしれない。

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 それでも、たまに貧乏感はウスウスと感じてはいた。崩れかかった古い小さな家に住み、何人かの弟妹がいて、背中に赤ん坊を背負い、校庭で私たちが遊ぶのを遠くから眺めていたTさん。実は給食費(子ども心にも安いと思っていた)が払えないというので私を驚かせたカズコちゃん。みんなが革のランドセルを背負っている中で、一人だけ手作り感いっぱいの布のショルダーバッグを肩に掛けていたU君。でも私は鈍感だったのかなあ、「かわいそう」と思うよりも単純に「変わっているなあ」という気持のほうが強かった。

 K子とA子ちゃんはその後仲直りして、今でも年賀状のやりとりをしているという。

「そんな騒ぎもあったけれど、私、ほんとうのところ貧乏が身にしみてなかったみたい。ある日、先生がクラスのみんなに言ったの。『幸せだと思う人、手をあげて』って。私は迷わず手をあげたわね。ふと気がついたら、手をあげたのは私一人だった。あんなに貧乏だったのに幸せって思ってたのよ、なぜか」とK子。

 それで私たちはまたゲラゲラと笑い、激しくティッシュで鼻をかんだのだった。