北朝鮮情勢が緊迫するなか、もはや旧聞になりつつあるが、故・金正日の長男・金正男が今年2月にマレーシアで殺害された事件は衝撃的だった。これについて事件直後には、正男の韓国亡命を阻止するため実行されたとの説もささやかれた。

 独裁者の子供が他国に亡命した例というと、かつてソ連の元首相スターリンの娘スベトラーナ・スターリナ(当時41歳)がアメリカに亡命し、世界を驚かせたことがあった。ちょうどいまから50年前のきょう、1967年4月21日、スベトラーナは厳重な警戒のなかニューヨークのケネディ国際空港に降り立っている。

1933年モスクワでスターリンに愛されるスベトラーナ ©getty

 スベトラーナはその前年、事実上の夫(ソ連当局は結婚を認めなかった)がモスクワで死亡したあとの12月に、夫の故国であるインドへ遺骨を抱えて渡航した。年明け後も同国のニューデリーにしばらく滞在したが、3月6日にイタリアへ出国。2日後にはスイスに入る。じつはこの間、彼女はニューデリーのアメリカ大使館へひそかに赴き、ソ連には帰らない意志を伝えると協力を求めていた。

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 スイス滞在中の3月22日には、元駐ソ連米国大使で、歴史家・外交評論家のジョージ・ケナンと面会する。ケナンは米政府関係者の求めにより、スベトラーナが持っていた自身の回想録を鑑定するとともに、本人の同意を得たうえで、彼女に代理人を立ててアメリカ入国の手はずを整えた。

1936年、スターリンにだっこされるスベトラーナ ©getty

 回想録は亡命後まもなくして、母親の姓をとったスベトラーナ・アリルーエワ名義で公刊される。そこには、自殺した母の思い出、父スターリンの素顔など、家族や自分の生い立ちについて克明につづられていた。その終わり近く、彼女はこんなことを書いている。

「裁きは後に来るものたちにまかせよう。(中略)やがて怒れる若者たちがやってくるとき、あの時代のすべては、彼らにとって、イワン雷帝の治世にも似て、はるかに遠く、不可解な、戦慄をさそうほどに恐ろしいものとなるだろう……
 はたして彼らは、わたしたちの時代を『進歩』の名で呼んでくれるだろうか、それが『偉大なロシアの幸福のため』の時代であったと呼んでくれるだろうか……いや、おそらく呼んではくれまい……」(『スベトラーナ回想録』江川卓訳、新潮社)

 スベトラーナはその後、1984年にいったんはソ連に帰国したものの、2年後には出国、イギリスなどですごしたのち再びアメリカに戻り、2011年に死去する。

1989年、アメリカ・ウィスコンシン州マディソンでのスベトラーナ ©getty