“喉元過ぎれば熱さを忘れる”なんて言葉があるが、そのとおり。10歳年下の妻が大腸がんになってしまう相当なクライシスがあったにもかかわらず、彼女が手術を終えて土気色だった顔に血色が戻り、弱々しかった声が通るようになり、退院から5日ほどで子供と一緒に散歩するのを目にすると、これですべて終わったものだと錯覚してしまう。だが、待ち受けていた抗がん治療によってまだまだ終わっていなかったのだと痛感させられた。(全2回の1回目。後編に続く)
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息子とふたりで手術する妻の帰還を待った
妻は1年前、35歳でステージ3の大腸がんを告知された。自分よりも若くて健康そうな彼女がまさかという驚き、なんだって我が家がこんな目にという怒り、ひょっとして俺と1歳過ぎの息子を置いて逝ってしまうのではないかという恐れを抱えながら、ふたりで手術する妻の帰還を待った。
「治療を例えるなら“敵がどこにいるのかわからない真っ暗闇のなかでデタラメに機関銃を撃つ”感じかな。正直、あなたの大腸がんに効くかどうかわかんないんだよね」
「治療の副作用で、手足の痺れがずーっと残る場合もあるからさ」
たとえ軽い口調であっても、医師から抗がん剤治療についてそんな話をされるとやっぱり凹む。それでも「たしか、副作用がまったく出なかった人のブログを読んだな……」とか、「手術もツルッとサクッといけたし……」とか、妻が大腸がんという大前提をすっかり忘れて「ウチって、大変な目に遭ったことないからな……」とどこか楽観視もしていた。そして2019年1月9日から抗がん剤がスタートしたわけだが、そんな淡い期待は木っ端微塵に打ち砕かれた。
抗がん剤1日目で早くも体に異変が
1日目の点滴投与。さぞヨレヨレになってくるのだろうと身構えていると、行く前と変わらぬ様相で病院から戻ってきた。しかし、ヘリウムガスでも吸ってきたかのような声で「ただいま」と言われ、マンガみたいな尻餅をつきそうに。そんな声で点滴の様子を語るうち、今度は右目の瞼がツーッと下がってそのままになってしまう。「壊れた人形かよ?!」と戦いていると、手が冷たくなってきたとチャイルド声で訴えてくる。抗がん剤の副作用のひとつである冷え対策用に買った手袋をはめるが、これがティファニーで朝食を取るときに使うような麗しいデザインの代物で上下ジャージ姿にまったく合わずにカオス感が増す。
体の寒さも訴えるので風呂を沸かすが、“抗がん剤暴露”があるから自分の後は絶対に湯を張り替えろと注意してくる。汗などに混じって抗がん剤が排出され、それが患者以外の健康を害する恐れがあるので、点滴を投与した日は風呂も洗濯も他の家族と別にすることを勧められたという。声も変わるほどの劇薬であるから仕方ないかもしれないが、家で家族も一緒なのにこんな形で隔たりが生じるとは夢にも思わなかった。