いまの生活でそれなりに楽しくやれている人は、ノリをわざわざ壊す勉強なんてまっぴらゴメンだ、と思うかもしれません。ならば、本書は不要なのだと思います。
本書は、無理に勉強を強いるものではありません。
人生においては、ときに、紆余曲折を経てたどりついたある局面が、「完成した」局面のようになることがある、と僕は思っています。そうなったら、微調整しながら、大きくは生き方を変えずに長くやっていきたい人もいるでしょう。
それに、不自由であることは必ずしも悪いことではない。むしろ、まさしく不自由が、縛りが、快楽の源泉になる。これは人間のすごいところです。嫌なことを最低限にでも楽しもうとしてしまう――これを、精神分析学では「マゾヒズム」と呼びます。
人間は、根本的にマゾなんです。
完全な自由はありえません。私たちはいつでも、周りから課される制約のなかで、不自由をマゾヒズム的に耐えながら=楽しみながら、生きている。
不自由のなかで、なんとかサバイバルする。自分のこの人生は運命的なんだ、気合いでやるしかない、という信念が支えになるときもあるでしょう……それは、良い悪いの以前に、マゾヒズムであると言える。いわゆる「根性論」とは、強力なマゾヒズムにほかならない。
しかし、あるとき、「別の可能性」を考えたくなるかもしれません。考えざるをえなくさせる出来事が、何か起きるかもしれない。マゾヒズムにも限度があるでしょう。限度を超えたストレスを受け続けているなら、どこかへ避難すべきです。しかし繰り返しますが、完全な自由はありえません。だから、どれほど苦しくて、自由を求めて逃げ出しても、それは「耐えられる範囲で不自由であるような別の環境」への引っ越しをすることでしかありません。
私たちは、あるマゾヒズムから、別のマゾヒズムへと渡り歩く――。
ともかく、この勉強論は、現時点で、生活を変える可能性が気になっている人に向けられています。それは、何かモヤモヤした願望だったり、あるいは、不満や、疎外感のようなネガティブな形のこともあるでしょう。
千葉雅也(ちば・まさや)
1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。哲学/表象文化論を専攻。フランス現代思想の研究と、美術・文学・ファッションなどの批評を連関させて行う。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生変化の哲学』、『別のしかたで――ツイッター哲学』、訳書にカンタン・メイヤスー『有限性の後で――偶然性の必然性についての試論』(共訳)がある。
気鋭の哲学者による本格的勉強論2に続く