いまから50年前のきょう、1967年4月28日、プロボクシングの世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ(旧名カシアス・クレイ。当時25歳)が、米テキサス州ヒューストン徴兵局による陸軍入隊命令を拒否した。アリが徴兵を拒否したのは、自分がブラック・モスレムの宣教師であるという宗教上の理由からだったが、そこには泥沼化するベトナム戦争への抗議も込められていた。彼がこのとき言い放った「俺はベトコンと戦う気はない。やつらに黒ん坊呼ばわりされたことなど一度もないからだ」という言葉はよく知られる。ベトコンとは、このころ米軍相手に戦っていた南ベトナム解放民族戦線のことだ。
アリはこの前月、ゾラ・フォーリーに勝って9度目のタイトル防衛に成功、プロ入り以来無敗を維持していた。しかし徴兵拒否は彼に大きな試練をもたらすことになる。まずニューヨーク州のボクシング・コミッションによってライセンスが停止され、それを受けて世界ボクシング協会(WBA)もタイトルの剥奪を決める。事実上のボクシング界からの追放であった。
同年6月にはヒューストン連邦地区裁判所より、禁固5年、罰金1万ドルの判決が下された。これを不服とするアリは以後も裁判闘争を続け、ベトナム反戦や黒人解放運動の象徴的存在となった。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは、「恐怖と弾圧に屈しないと決意したすべての人々の覚醒された意識。君はその象徴である。私は全身全霊を傾けて君を支持する」と激励の手紙をアリに送っている(朝日新聞社編『二十世紀の千人 第1巻 世紀の巨人・虚人』朝日新聞社)。
米最高裁がアリに対する実刑判決を破棄したのは71年6月のこと。これと前後して彼は、70年にジョージア州アトランタでの復帰戦を勝利で飾り、74年にはザイール(現コンゴ民主共和国)でジョージ・フォアマンからヘビー級タイトルを奪還する。しかし復帰したアリからは、かつての軽快なフットワークは失われ、代わって、相手に打たせ続けて疲弊させるという戦法で勝ちを取るようになっていた。このために彼は体に多大なダメージを負ったともいわれる。81年に引退。3年後にはパーキンソン症候群と診断された。アリが長い闘病の末、敗血症性ショックのため74歳で亡くなったのは昨年6月3日のことである。