いまから30年前のきょう、1987(昭和62)年5月3日午後8時15分ごろ、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に覆面男が侵入し、記者たちに向け散弾銃を発砲、そのまま逃走した。銃撃により、小尻知博記者(当時29歳)が死亡、もう1人の記者も重傷を負う。
犯行直後、共同通信社と時事通信社に、「赤報隊 一同」を名乗るグループより犯行声明が届く。そこには同年1月の朝日新聞東京本社への発砲事件とあわせこの事件も自分たちによる犯行という宣告とともに、同社を脅迫する文章が書かれていた。
その後も、朝日新聞社ばかりでなく、企業、韓国人会館への攻撃、政治家への脅迫状の送付などが繰り返された。警察庁は広域重要指定116号事件として捜査を続けたが、犯行グループについて決定的な手がかりはつかめず、2003(平成15)年までに一連のすべての事件の公訴時効が成立している。