――この小説は主人公・羽嶋賢児が似非科学と戦う物語です。似非科学とは「マイナスイオンで髪がつやつや」とか「コラーゲンを食べて肌がツルツル」といった一見それらしく見えるけれども、根拠のない偽物の“科学”。朱野さんは以前から科学に興味を持っていたのですか?
朱野 子どもの頃から科学は好きでした。理系に進みたいと思ったこともありましたが、数学が壊滅的にできなかったので(笑)、大学は文学部に進みました。でも興味だけはずっと持っていて、科学機関のメルマガも購読していました。それをきっかけに、『海に降る』という深海探査がテーマの小説も書いています。
しかし科学が好きになればなるほど、似非科学を許せなくなってきます。親戚の集まりで「がんに効くサプリメント」などという話題で盛り上がることはどの家庭でもあると思いますが、つい「そんなものはない」と口が動いてしまいます。その場はシーンとなります。話題を変えようとした誰かが「コラーゲンの入った化粧水が」と言いだすと、「コラーゲンは肌から浸透しない」とまた口が勝手に…。親戚の中では、あいつの前ではもう何の話もするなって感じになってると思います(笑)。
でも、このような似非科学との戦いは至るところで起きていますよね。できれば偽物じゃなくて本物の科学に関心を持ってほしい。そんな思いから家庭や職場で煙たがられながら、誰にも求められていない啓蒙活動を続ける科学ファンの存在は、理系文系問わず多いと思います。そんな名もなきいち科学ファンがたまにはヒーローになってもいいのでは。そんな思いがこの物語を書くきっかけになりました。
――主人公の羽嶋賢児は、「マイナスイオンドライヤーなどの似非科学商品は廃止すべき」と主張して、事実上の左遷に遭います。左遷先は商品企画部で、まさに賢児の憎む似非科学商品を作る部署。会社員としては利益を生まなければいけないし、かといって似非科学の片棒は担ぎたくない。そんな環境で、賢児がどのようにして似非科学と戦うのかが読みどころです。
朱野 小説の中で賢児が「お前を雇うのにいくらかかったと思ってる」と責められるシーンがありますが、いまの時代は成果主義のプレッシャーに毎日身を削られている人が多いですよね。賢児にとって“科学”こそが心の支えですが、一方で科学の発展には莫大な金がかかることも理解しています。だから資本主義的な経済原理も無視することができない。自分にとっての“科学”の理想を守るため、会社の利益至上主義的環境とどう折り合いをつけ、どう行動するのか、私も賢児とともに悩みながら書き進めました。
――賢児は家でも似非科学と対決しなければなりません。姉の美空の妊娠、出産で似非科学に取り込まれそうになり、家族が右往左往します。
朱野 妊娠出産は似非科学の巣窟です。私も二人目を産んだばかりですが、何が正しい情報かもうわかりません。小説にも出てくる、帝王切開すると母性が生まれないという説は迷信だとすぐわかりますが、予防接種是非問題のように否定派の論理がもっともらしく聞こえて不安になる時もあります。どんな情報も純粋な思いから発信されているのですが、それだけに性質が悪いとも言えます。どうすれば間違った情報から家族を守れるのか。それも今回のテーマの一つです。
――賢児と似非科学との戦いは、あっと驚く結末を迎えます。
朱野 私が会社員時代に商品評価調査をしていたとき、似非科学的な他社商品がモニターから好評価だったことがありました。変なボタンとかいっぱいついてるし、見るからにインチキなのに「なぜ?」と尋ねたら「怪しい方が効果がある気がする」と言われたことを今でも覚えています。人はなぜ似非科学に惹かれるのか。彼らが真に求めるものは何か。私なりの答えは、賢児の決断と行動に込めたので、是非小説で楽しんでいただきたいです。