『愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家』
延江浩 著(講談社)
ポップ・ミュージックの担い手は単に「音楽家」であるだけでなく、都市文化の担い手であり、さらにその源泉を辿っていけば一国の歴史の深層にまで触れてしまうこともある。そんなミステリアスな仮説を、松任谷由実の夫である音楽プロデューサー松任谷正隆の父方・松任谷家と、その親戚関係にあった「戦前右翼の大物」頭山満、及び頭山家の家系図を紐解いていくことによって浮き彫りにしていくユニークな一冊。
これまで著名人の自伝や評伝で語り尽くされてきた「飯倉片町キャンティ」伝説や、日本のポップ・ミュージック史に蔓延している「はっぴいえんど」史観(はっぴいえんどとYMOの功績ばかりが重要視されてきたこと)に、新たな角度から当てられる光の数々。きっと、戦後日本の文化史にはまだまだ語られていない物語がたくさん埋まっているのだろう。
『プリファブ・スプラウトの音楽』
渡辺亨 著(DU BOOKS)
そんな松任谷由実のフェイバリット・バンドの一つとして知られる、英国ニューカッスルのバンド、プリファブ・スプラウトの30年以上に及ぶ足跡を綴った世界的にも貴重な仕事。え? プリファブ・スプラウトを知らない? 著者は、バンドの中心人物パディ・マクアルーンが同世代のマイケル・ジャクソン、プリンス、マドンナら(3人とも1958年生まれ)ポップ・ミュージック界のレジェンドたちと「同じ地平に立って音楽活動を続けてきた」とする。自分もまったく同意だ。
ストリーミングで音楽を聴くのが当たり前となった時代。もしそのバンドやアーティストのことをそれほど知らなくても、Apple MusicやSpotifyを立ち上げれば、すぐにほぼすべての音源を聴くことができる(残念なことに、まだ邦楽の場合はそうとは限らないが)。時系列に沿った本書のページをめくりながら、PCやスマホを指一本で操って「永遠のポップ・ミュージック」を求め続けてきた彼らの宝箱のようなディスコグラフィーを辿っていく。そんな2017年ならではの贅沢な読書体験を是非。
『いまモリッシーを聴くということ』
ブレイディみかこ 著(Pヴァイン)
『プリファブ・スプラウトの音楽』はその音楽形成の背景となった映画やミュージカルや文学や美術やキリスト教文化について考察が巡らされた一冊であるが、本書はモリッシーという稀代のシンガーのこれまでの作品(主に歌詞)を、英国の国内政治と社会との関係性の中で解き明かしていく。
ボブ・ディランがノーベル文学賞を授与される時代に、ポップ・ミュージックの歌詞の持つ文学性について殊更強調する必要もないだろうが、かつて在籍していたザ・スミスとその後のソロ作品において、モリッシーの常に「弱者」の側から発せられてきた歌詞は、世界中の若者たちにとって天啓のようなインパクトを持つものだった。その影響力は現在も世代を超えて、映画、文学をはじめとするあらゆるアートの分野に広がっている。
90年代から英国に在住している著者は、ブレグジット以降の「いま」、そんなモリッシー(彼は英国のミュージシャンの中では少数派の「EU離脱派」であった)の歌詞が、当時の英国社会において本当は何を意味していたのかについて、生活者の視点から分析していく。その筆致は明晰にして、時にエモーショナル。長年のモリッシー・ファンの一人として深く心を打たれた。