昭和の大横綱である大鵬が引退したのは1971年、さらに千代の富士が引退したのはその20年後の1991年で、いずれもきょう5月14日のできごとである。引退会見で大鵬は「引退を決めたのは、エート、ゆうべ、フトンにはいってからで、だれにも相談せずに……」と切り出し、千代の富士は「体力の限界、気力もなくなり引退することになりました」と述べた。なお、千代の富士は大鵬の45連勝を上回る53連勝を達成する一方で、大鵬の持つ最多優勝回数32回(当時)にあと一歩で届かないまま引退した。
二人の引退は単に日付が同じというだけでなく、それにいたる経緯でも符合が見出せる。大鵬は当時小結だった貴ノ花に敗れたこと、一方、千代の富士はその貴ノ花の次男・貴花田(のちの横綱・貴乃花)に敗れたことがそれぞれ引退の伏線となった。さらにいえば、貴ノ花に引導を渡したのはそもそも千代の富士だ。大鵬と千代の富士は本場所の土俵で取り組むことはなかったとはいえ、そこに貴ノ花・貴花田親子がからむことで、相撲界に大きな歴史の流れをつくったというのが面白い。