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連載地方は消滅しない

地方は消滅しない――群馬県南牧村の場合

高齢化率ナンバー1の炭グルメ

2017/05/16
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飴、パイ、饅頭、うどん、コンニャク

 村の森林組合が、間伐材で炭を焼く機械を導入したのは九五年頃だ。できた炭を手作業で砕き、当時の組合長が同級生だった金田征之さん(77)の菓子店「信濃屋嘉助」に持ち込んだ。

「『昔は下痢をしたら炭をオブラートにくるんで飲んだよな。炭は食べられるんだから、饅頭に入れて白黒の葬式饅頭(まんじゅう)にしてみようよ』と持って来たのです」と金田さんは話す。南牧村はかつて薪炭の産地だった。

 金田さんは饅頭を試作した。しかしざらざらとした炭が舌に残り、とても食べられたものではなかった。森林組合は業者に委託して、吹けば飛ぶほどの「微粉」に加工し、再び金田さんの店に持ち込んだ。「菓子に入れているうちに舞い上がり、鼻の穴まで真っ黒になるほど」(金田さん)だったが、今度は使えた。

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 まず飴(あめ)にした。小枝の形をした黒い飴だ。しかし家に持ち帰った客から「変形した」と苦情が相次いだ。炭が熱を吸収するのか、気温が三十度以上になると溶け始めるらしい。そこで原料の配分を変えたり、煮詰める温度を高くしたりして、なんとか形を保てるようにした。九七年のことだ。

 噂を聞きつけた地元選出の小渕恵三首相(〇〇年死去)が組合長に「面白い。後押ししたい」と三度も電話を掛けてきたという。だが、小渕氏は行動を始める前に亡くなってしまった。

 金田さんは炭入りのパイや饅頭、くず湯を開発し、麺も製造した。麺を千歳屋飲食店に持ち込んだのは、実は金田さんである。

炭まんじゅう、炭アメ、炭のパイと金田さん

 炭饅頭を開発した時には、どんな餡(あん)にするか何年も頭を悩ませた。皮に炭を入れても味や匂いはなく、着色料としての役割しかない。だが、せっかくの炭饅頭だ。人が驚くような味にしたかった。目をつけたのはチーズだ。「ピザであれほどチーズが食べられているのです。和菓子に入れても合うのではないかと考えました。カルシウムが含まれているから、お菓子で歯を強くすることもできます」。そこで角切りにしたチーズを、餡に練り込んだ。「これはクリですか、イモですかと、買って帰ったお客さんから随分問い合わせの電話がありました」と金田さんは楽しそうに話す。饅頭で戦争を思い出し、「出征先で腹を壊したが、炭をかじって生き延びた」と体験を話しに来た元兵隊が二人もいた。

 炭うどんを出す民宿もある。「山間の南牧には水田がなく、昔の夕食はうどんでした。郷土料理を食べてもらいたいし、せっかく森林組合が作った炭の粉なので、手打ちをしています」と五十代の経営者は話す。

 炭入りではないが、炭窯を設けた「炭小屋」でパンを製造している人もいる。中澤虎雄さん(78)だ。

炭小屋でパンを焼く中澤さん

 林業をしていた中澤さんが炭小屋を建てたのは十五年ほど前だ。炭で焼いたコンニャクや餅を販売し、村の観光をもり立てようと考えた。

 パンは炭窯ではなく、炭小屋に作ったレンガ造りの釜を使う。ケヤキ、ナラ、カシを燃やした後の余熱で焼くのだ。これだと炭は使わないものの、まるで炭焼きをしたかのように燻(いぶ)した香りが付く。手間がかかるから、多い日でも百個ほどしか作れない。道の駅「オアシスなんもく」に出しているが、すぐに売り切れてしまう人気商品だ。六十歳を超えてなお、こうした商品を生み出し、八十歳に手が届こうという今も製造を続けているのは、いかにも高齢化率日本一の村ならではだろう。

 こうして生まれた“炭グルメ”の食べ物は売れ行きのいい品ばかりではない。それでも作り続け、売り続けるのが、この村の特徴だ。典型は炭コンニャクだろう。

 かつてコンニャクの産地だった同村では、現在も約五社がコンニャクイモから粉を製造している。そのうち最も大きい田村靖一商店は、粉だけでなく、わずかではあるが製品も作っている。炭コンニャクは〇〇年頃から、森林組合の提案を受けて製造してきた。

 真っ黒だと食欲をそそらないので、紫がかった色に調節した。炭を入れると独特のコンニャク臭さが抑えられて、もちもち感が出る。噛み応えがあって生でも美味しい。時代劇が好きだった当時の社長が「腹黒代官」という商品名を付けた。

「当初はテレビで取り上げられるなどして、一日に三十~四十枚売れました。でも最近はほとんど売れず、月に一度も作っていません。もちろん赤字です」と田村裕一郎社長(46)は話す。それでも製造はやめない。「私は村が大好きです。村のための商品なのだから大事にしていきたい」と力を込める。

 全国的に地域おこしの商品は、少し売れなくなったら、販売を止めてしまうのが通常だ。しかしすぐに止めたら名物にならない。今や人気の炭ラーメンも、売り出し当初に注目された後は、がっくり売り上げが落ちた時期があった。

「それでも止めようとは思いませんでした。いいものができたという自負がありましたし、せっかく皆で作り上げた食べ物なのですから」と千歳屋飲食店の隆さんは話す。

 あるものを大事にして、じっくり育てる。急峻な山に囲まれた集落で、助け合って生きてきた人々の行動原理だ。そして古くからの知恵を、今の生活に生かす。炭の食品利用はまさにその実践だろう。

 高齢化率の高い南牧では、古くからの村社会がまだ生きている。それが和気あいあいとした雰囲気につながっているだけでなく、小さくても新しい商品に結びついた。

 高齢者の多さも捨てたもんじゃない。

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