白いスープに赤い半熟卵、大きなチャーシューが乗っている。見た目は普通のラーメンだ。が、箸を付けると、いきなり黒い麺(めん)が現れた。
驚きで、箸が止まる。苦くはないか、えぐみがあるようにも見える……。不安を振り切って食べてみると、あっさりした普通の味で拍子抜けした。麺には味や香りがほとんどない。口の中が黒くなるわけでもない。むしろ腰があり、スープもよく絡まるので、ラーメンとしては美味しい。気づいたら平らげていた。
炭ラーメンだ。
「役場にもファンがいて、よく食べに来る職員がいるんです」。群馬県南牧(なんもく)村役場の岩井秀司・企画係長(42)が麺をすすりながら言う。
私は同村の名物になっている炭入りの食品を食べ歩こうと、まずは炭ラーメンで人気の千歳屋飲食店を訪れたのだった。
同店は水澤隆さん(64)と厚子さん(64)の夫妻が、三十代の娘二人と切り盛りしている。炭ラーメンを始めたのは二〇〇二年だ。
「村の森林組合が、杉の間伐材で炭の粉を作ったのです。麺を打つのを趣味にしていた近所のお菓子屋さんが、炭の粉を練り込んだ麺を作製し、『これで村おこしをしてみないか』と持って来てくれました」と隆さんが話す。
麺は単に黒いだけではなかった。
一九〇二年ごろに創業した同店は、醤油ラーメンが定番メニューだった。そこで店で作っていたスープに入れてみた。
「全然美味しくありませんでした」と隆さんは笑う。「普通の麺は、かんすいで風味が出ます。これが炭で消臭されるので、さっぱりしたスープには合わなかったのです」と厚子さんが解説する。
「ならば」と脂っぽい豚骨スープに入れてみた。白いスープとのコントラストも狙った。しかし今度は豚の匂いが強すぎて合わなかった。次は豚骨に鶏ガラと野菜を入れてスープを作った。すると、絶妙なバランスが麺を引き立てた。
メニューに加えると、客が殺到した。テレビで放映されたおかげで、村外から客が押し寄せたのだ。東北や関西から来た人もいた。「村始まって以来の渋滞」(隆さん)が起き、役場の職員が交通整理に出る騒ぎになった。
だがこの時、厚子さんは「ラーメンから湯気が出ていない」と客に苦言を呈された。普通のラーメンと同じようにして出すと、炭ラーメンの方がぬるくなってしまうのだ。「炭が熱を吸収して、スープが冷えてしまうからでしょうか」と隆さんは首をひねる。それからは丼をかなり温めてから麺やスープを入れるようにした。
また、作っていくうちに、炭入りの麺はのびにくいと分かった。「炭ラーメンは一時間経っても、十分しか経過していない普通のラーメンと同じ状態なのです」と隆さんが言う。夫妻は炭の不思議さに驚きながら、工夫を重ねていった。
炭ラーメンを売り出した一年後、別のテレビが村の取材に来た。「インパクトのある料理で村を宣伝してもらおう」と炭ギョーザを作った。皮に炭を練り込むと、なぜかもちもち感が出て、以後は人気メニューになった。
炭入りの麺で焼きそばも作った。村の商工会青年部が「イベントで何か出したい」と言っていたからだ。炭入りの麺は冷めにくく、弾力があるので、焼きそばに合う。これも看板メニューになった。
「炭」で店は変わった。「人口減少で客が減り、夫婦で食べていければいいという程度の経営でした。それが村外からお客さんが来るようになったのです。県外から毎月来てくれる人もいます。売り上げは倍増し、娘に手伝ってもらわないと間に合いません」と隆さんは目を輝かせる。
南牧村は「高齢化率日本一」の自治体だ。今年三月末時点の人口は二千三人。六十五歳以上は千二百二十七人だから、六一・三パーセントが「高齢者」という計算になる。五年ごとの国勢調査では、一〇年から連続して二回、高齢化率が単独で全国ナンバーワンになった。
このためメディアはこぞって取り上げた。「消滅に一番近い村」「村に住めるのはあと十年」といった見出しが踊る。悲観的な記事で、村に暗いイメージを植え付けた。
確かに先行きは多難だ。千メートル級の山々に囲まれたV字谷に散在する集落。一九五五年に一万人を超えていた人口は五分の一以下に減った。主力産業だったコンニャク栽培が廃れたせいだ。品種改良で水はけのいい斜面でなくても栽培できるようになり、産地は赤城山麓の高原へ移った。若者は仕事を求めて都市部へ流出する。
だが、人々は本当に暗いのか。炭を使った食べ物で、人を驚かせたり、楽しませたりする村なのだ。