「政治家としての感性は、歩かないと磨かれない」
菅直人が年金未納問題(2004年)で四国八十八箇所参りのお遍路に出かける。坊主頭に白装束姿を記憶する者も多かろうか。実は同時期、中村も出所を機にお参りしている。そのとき、中村が寺の台帳に記帳しようとすると、菅の名前があったのが途中から消える。帰ってしまったからだ(菅は「つなぎ遍路」で9年かけて7回にわけてまわる)。対して中村はといえば、運動着を着て人知れず早朝から歩いては40日でまわり切るのであった。
このエピソードには「野党とはなにか?」の寓話性がある。上っ面のパフォーマンスにうつつを抜かすのが、民主党をはじめとする近年の野党の習性だ。そこにあって小沢一郎が力を持ち続けるのは、そうした野党のなかでも自民党伝来の「ドブ板選挙」を知ることでの選挙に強いとの神話性によってであったろう。小沢の師にあたる田中角栄は、初選挙の者に「戸別訪問3万軒、辻説法5万回」を説いた。田中の秘書だった中村もおよそ11万軒をまわる。「政治家としての感性は、歩かないと磨かれない」と中村は言う。
「マニフェスト選挙」だ「まっとうな政治」だといった野党が謳うムーブメントは、一時的には意識高い系のひとたちにウケても、すぐに廃れるのが常だ。まして声高に立憲主義をいったところで、いくつになっても「センター試験で何点だった」と話すような大卒の郷愁を誘うだけだろう。
「陽の当たらぬ場所」のひとたちの怒りと恨み
そういえば『無敗の男』は最終章で、ロッキード事件で逮捕されてなお選挙に勝つ田中角栄を「圧勝させたもの」を洞察する、本多勝一のルポ『そして我が祖国・日本』(朝日新聞社)を紹介している。そこで本多は土建屋中心の利益集団の票ばかりではなく、「陽の当たらぬ場所」のひとたちの怒りと恨みが当選させたのだと説いた。そして言論人は田中の当選を「地方ならではの『政治意識の低さ』や『遅れた民度』」と冷笑するが、そうした者たちやマスコミの田中批判は「都会人の遊び」にしか映らないのだといい、野党関係者などにこそこれを読んでほしいと本多は述べた。これは極めて今日的である種の安倍政権批判への反応にも重なり合おうか。
中村が政治の世界にはいったとき、保守王国・茨城は企業や有力者を他の自民党議員が押さえ切ってしまっていた。だから「オレは百票持っている」とうそぶく者を相手にするのではなく、「家族三人しかいないけど、みんなで応援する」という支持者をつくっていったのだという。もし企業や有力者に頼っていたら、逮捕をきっかけに皆、逃げてしまうだろうし、まして影響力の限られる無所属では当選し続けることなどできなかったろう。一般のひとの支援をかき集めるからこそ、中村は「日本一選挙に強い男」になったのだ。
「桜を見る会」に呼ばれることもない、意識高い系でもない、普通のひとに声をかける政治。そこに可能性はあるに違いないと、『無敗の男』は教えてくれようか。そしてなにより、バイクに乗ったり演説したりする中村喜四郎を生で見たい気にさせられる一冊である。