SMクラブでの“プレイ”をめぐって息子と取っ組み合いのケンカ
それでいえば中村の選挙は、日頃から「無反応を確かめる」ような活動で得た信用の一つひとつを、オートバイの音で掘り起こし、掻き立ててまわっているかのようだ。「選挙は騒音」といって憚らない、意識高い系の者がヒステリーをおこしそうな選挙戦術である。しかしそうやって中村は、政党や企業の支援もなしに、個人の力で選挙を勝ち続けるのであった。
ところで『無敗の男』で常井が書くのは中村の政治活動ばかりではない。政治家だろうがなんだろうが、誰しも様々な事情を抱えて生きている。あるいは「どんな家にも問題がある」とは森健『小倉昌男 祈りと経営』(小学館)の有名なフレーズだが、中村の家庭も例外ではない。
そのむかし、六本木のSMクラブの元女王様が中村とのプレイを「週刊現代」で告白する。1993年のことだ。当時、中村の長男はまだ小学生で、そのことが心の傷として残りつづけ、後年、親子で取っ組み合いのケンカをすることになる。
そのおり、中村はしらを切ることなく、こう言ったという。「ちゃんとお金を払って、楽しませてもらっただけだ」。
最近になってインタビューを受ける理由とは
たとえば山崎拓はどうか。山崎は回顧録『YKK秘録』(講談社)で、会合の店名や密談のホテルの部屋番号にいたるまで事細かく記し、その折々の政局と自らの政治家活動を振り返る。しかし選挙の落選(2003年)については「不覚をとってあえなく落選した」とだけ記している。不覚もなにも「週刊文春」(2002年5月2・9日号)の「山崎拓『変態行為』懇願テープとおぞましい写真」で暴かれた愛人問題で信頼を失った結果に他ならない。
刑務所にまで入った中村にすれば、過去のスキャンダルを自分の評伝に書かれるくらい、どうということはないだろうが、読むほうからすると、それを隠さないことでこのひとは信頼できると思い、それを遠慮なく書く著者にも同様の思いを抱こうか。
そうした常井の取材を除いては、長らくマスコミを避けてきた中村だが、最近になって報道各社のインタビューを受けるなど、表に出るようになる。それは安倍政権を倒すためだ。
昨年末の東京新聞の取材では、「私がいたころの自民党には謙虚さがあり、権力を使うことに抑制的だった。何か問題があれば新しい党の顔が出てきた。自分で自分を批判できたから野党は必要なかった」と述べる(12月27日 朝刊)。ところが野党が必要とされる今日にあっても、野党は細かいことにこだわり、まとまらずにいる。そこで中村は動き出したのであった。
野党といえば、ながらく野党の顔であった者にまつわる逸話が『無敗の男』にある。