さて、ホームステイと聞くと、蘇る思い出がある。
私の地元の岐阜県垂井町は、一九九六年、カナダにあるカルガリー市と姉妹都市となった。それ以来異文化交流も盛んに行われるようになったというが、一体カルガリー市はどんなメリットを感じ取って我がふるさと・垂井町と姉妹になる運命を選択したのだろうか。Wikipediaによるとカルガリー市とは「カナダ西部のアルバータ州にある都市である。同州最大の都市かつ同国有数の世界都市」らしい。世界都市のカルガリーと、狭い盆地の垂井町。なんだか、コンビ間格差を売りにした「姉妹都市」という名前の漫才師みたいだ。たとえ腹違いの姉妹だといわれたところで納得がいかない。
そんな謎に満ちたカルガリー姉さんには、妹である垂井町から、毎年中学生が派遣されている。垂井町に二つある中学校から計十数名が派遣メンバーとして選抜されるのだが、当時中学二年生、もちろん海外になんて行ったことのない朝井少年はボンヤリと「自分もカルガリーに行きたいなりー」なんてクソつまらないダジャレもどきを友人に披露し完全に無視されたりしていた。中学二年生の冬、そのメンバーを選抜する試験があるというので、私は、同じくボンヤリと海外渡航への憧れを抱く友人たちと連れ立って受験してみることにした。そして、金色のポニーテールをブンブンと振り回す姿が恐れられていたALT(外国人教師)による英語の面接を受けた結果、なぜか試験に合格してしまい、中学二年生の三月、約二週間もの間カナダのカルガリー市に赴くことになったのである。どこかへ派遣=小野妹子という謎の早合点をした私は、同じくメンバーに選ばれた同級生たちを見て頭の中で(姉妹都市に行く妹子軍団……)と女偏に塗れた思考を繰り広げていた。
それにしても、初めての海外。しかも知らない外国の家庭へのホームステイ。試験合格を知らされた瞬間、妹子たちの緊張と恐怖は即ピークに達した。
ただ、学校側も、妹子たちの不安はお見通しだったのだろう。渡航前の数週間は、学校側が決めてくれたホームステイ先とメールでやりとりができるようになっていた。お互いに自己紹介をしたり、向こうの家族構成を聞いたり好きな食べ物を尋ねられたり、ハートフルなやりとりに妹子たちの緊張した心は少しずつほぐれていった。
だが、もちろん中学二年生の英語力ではそのメールのほとんどを読解することができない。先生たちからはできるだけ辞書などを利用し自力で読むようにと言われていたが、デジタルネイティブ世代に生まれたネオ・妹子たちは即、翻訳サイトという神器の使用を解禁した。私も例に漏れず、初めて届いたメールの本文をまるごとコピー&ペーストした。
ドキドキは最高潮に達していた。数週間後には家族のように生活することになる、カナダ在住のウィリアムズ家からの初めてのメールなのだ。
英語→日本語。変換される道筋を確認し、胸の高鳴りを抑えるようにエンターキーを押す。
【おい Ryo】
私は「ヒイ」と奇声を上げながら椅子から転げ落ちた。今から十数年前、翻訳サイトの精度は抜群に粗かったのだ。Hi が【おい】と訳された文章は、初めてのメールの割にはやけに好戦的で、十四歳だった私は「これが北アメリカ大陸……」とビクビク怯えた。