にこやかな表情に終始して、普通ならばけっして表面には出てこない「声」を引き出し、記録するのはオーラルヒストリーの役割であろう。引き出し役である聞き手たちとの間に信頼関係が徐々に形成され、墓場まで黙って持っていく予定だった「記憶」が公刊される。本書を読む醍醐味はここにある。
山崎正和は弁舌よどみない評論家であり、セリフに巧みな劇作家である。自己を表現する言語手段はいくらでもある。にもかかわらず、自己を露出することを嫌悪する「抑制」の人である。その抑制を半ば解き、ホテルのバーかどこかで心地よく酔いながらのように、回想は語られていく。聞き耳を立てたくなる話が、たくさん出てくる。高橋和巳、江藤淳、福田恆存、小林秀雄、大江健三郎、梅原猛ら言論人の、ちょっといい話ならぬ、ちょっとワルい話。権威主義マル出しの東大教授の話、等々。
ゴシップを潤滑油にしながら語られる本題は、「知識人の政治参加」である。山崎は三十歳代の時、時の佐藤栄作政権のブレーンとなり、以後、半世紀にわたって、現実の政治と交わってきた。その時々の政権により濃淡はある。佐藤、福田、大平とは濃い。筋が悪い角栄、中曽根とは距離を置いた。「あの人は品格がないから嫌いだ」と中曽根の使者に告げている。佐藤政権時代の東大入試中止、沖縄の「核抜き本土並み」返還などの政策が決まる舞台裏の知的風土がわかる。
政治家の人物月旦も尽きない。なかでは、宮沢喜一の「教養人ぶりと酔態」に鬼気迫るものがある。一休宗純の墨跡をすらすら読み下し、英米の雑誌を読破する政界一のインテリは、ぐでんぐでんに酔って秘書官に抱えられる始末だった。英語使いのアメリカ憎しで、「この人は本当に日米関係で苦労した人なんだな」と納得する。
山崎が政権中枢に馳せ参じた半世紀前と現在との落差には、隔世の感がある。当時の論壇は(演劇界も)「左」の時代だ。「左翼の圧倒的な勢力に対して、リベラル派は本当に一掴みだった」。山崎のいう自分たち「リベラル派」と今のいわゆる「リベラル」とは全くの別物である。その頃は日米「同盟」という言葉さえタブーで、日米「基軸」というお役所言葉が使われていた。
山崎が政治に関わったのは、「日本が薄氷の上に乗っているという感覚」だったからだ。この虚無の匂いを持つ紳士の秘密は、国家を失った敗戦後の満洲の暮しと、中三で入党した早熟な共産党体験だろう。その部分の語りは圧巻である。
みくりやたかし/1951年生まれ。東京大学法学部卒。東京大学先端科学技術研究センター客員教授。東京大学名誉教授。政治家のオーラルヒストリーを数多く手がけてきた。聞きとりから公刊まで十年をかけた本書は阿川尚之・苅部直・牧原出らと編む。
ひらやましゅうきち/1952年東京都生まれ。出版社勤務を経て雑文家に。『昭和天皇「よもの海」の謎』『戦争画リターンズ』。