21歳での芸能界デビュー後、24歳で顔面や頚部(けいぶ)の深い位置に腫瘍ができる希少がん「副咽頭間隙腫瘍(ふくいんとうかんげきしゅよう)の横紋筋肉腫」と診断されたグラビアアイドルの藤乃あおいさん(26)。2023年1月から同年末にかけての抗がん剤治療を経て、2024年9月には活動復帰を遂げた。

 代名詞となる、Iカップの「加賀百万石バスト」も復活。しかし、がん発覚から現在までの道のりには「いつ復帰できるんかな」と、不安の続く闘病生活もあった。一時は不意の感染症にかかり、心も身体もボロボロになった経験も。笑顔を取り戻すまでにあった軌跡とは。(全2回の2回目/1回目から読む)

グラビアアイドルの藤乃あおいさん ©橋本篤/文藝春秋

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がんと診断された際、母とふたりで涙を流した

――娘が副咽頭間隙腫瘍の横紋筋肉腫、すなわちがんを患ったと知って、親御さんはどんな反応をされていましたか?

藤乃あおいさん(以下、藤乃) 母は故郷の石川県から上京して、検査中も常に付き添ってくれていたんです。がんだと聞いたときは、だいぶショックを受けていましたね。副咽頭間隙腫瘍は90%が良性といわれているのに、私が残り10%の「悪性」だと診断されたのを受けて、おたがいに泣いちゃって。結果を聞いた当日の帰り道では「これからどうしようか」と、会話しました。

――がん治療では妊娠する力、すなわち「妊孕性(にんようせい)」が損なわれる可能性の説明もあったかと思います。

藤乃 説明を受けて、泣きました。結婚願望があるかといわれれば、特に……という感じですけど、親も歳を取っているし、やっぱり「孫の顔は見せたい」と思っていたんです。抗がん剤治療で入院するまでの数日間は自宅で母に「どうしよう」と言っていて。でも、母は「孫は孫でかわいいけど、ママの大事な娘はあんたやねんから」と言ってくれました。

 

――万が一に備えて、妊孕性の温存療法は?

藤乃 私の場合は、腫瘍がピンポン球大にはれあがり窒息死するおそれもあったし、24歳の1月末にすぐ抗がん剤治療をスタートしなければいけなかったので、最初は妊孕性温存の余裕がなかったんです。でも、2月半ばには「間に合うかもしれない」と言われて、卵巣組織を凍結保存しました。