小説を書けば『マダム・キュリーと朝食を』で芥川賞候補となり、マンガを描けばコマ枠をあまり使わない独創的な作品を生み出し、アンネ・フランクと小林の父親の日記を重ね合わせたノンフィクション作品『親愛なるキティーたちへ』も話題となった。ジャンルを横断するどころか、そんな制約があることすらまったく意識していないような活動を続けるのが小林エリカさんだ。

 いまなら彼女の表現に、展覧会というかたちで触れられる。東京・表参道駅前の「ギャラリー360°」で、「彼女は鏡の中を覗きこむ/庭」展を開催中なのである。短編小説集『彼女は鏡の中を覗きこむ』の刊行に合わせた展示だ。

《宝石 彼女は鏡の中を覗きこむ》 2014年

テーマは、放射能

 表現手段を限らない彼女らしく、展示の内容は絵画、写真、それに短いながらテキストと、さまざまな要素が組み合わさっている。ただし、ぱっと見は気づかないまでも、どの出品作にも通底するテーマがある。放射能だ。

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 放射能のことを扱うといえば、福島での原発事故を避けて通るのはあり得ず、彼女の作品にも色濃く影を落としているのはもちろんだけど、小林さんの場合はそこに留まらない。もともと原発事故のずっと前から、彼女のなかでは放射能が大きな関心事としてあった。

「何やらとんでもない力を持った、目に見えない存在」

 放射能をそう捉えたうえで、

「大切なものは、目に見えないんだよ」と『星の王子さま』で書いたサン=テグジュペリよろしく、見えないものになんとかかたちを与えんとして、創作を続けてきたのである。小説『マダム・キュリーと朝食を』は放射性物質を研究したキュリー夫人を扱ったものだし、マンガ作品『光のこども』では放射能と人類の関わりの歴史を描き出した。

 今展でも、放射能は主たるテーマとして出品作全体を貫いている。「庭」と題された作品は、写真と絵画を対にしたもの。モチーフになっているのは、X線を発見したヴィルヘルム・レントゲンの研究室があったドイツ・ヴュルツブルク大学の庭のイチョウ。放射線を発見したアンリ・ベクレルの研究所があった庭のバラ。放射性元素を発見したマリ・キュリーの旧ラジウム研究所の庭のバラに、マリの夫だったピエールが暮らしていたパリ郊外の家の庭にある鳥小屋である。

《庭》(アンリ・ベクレル) 2017年

 掲げられている写真と絵画が美しければ美しいほど、みずから制御できないとんでもない力と出合い、その力を世に放ってしまった人類の業のようなものを感じさせる。

時代と強く結びついた表現

 アクリル絵の具で描かれた絵画作品もある。「新しい森」は、銀色の塊を描いた抽象的な絵。一色しか用いないシンプルな図柄なのに、不思議な存在感がある。これもじつは、放射能と深く関係している。

 東京電力福島第一原子力発電所の建屋の手前には、かつて「野鳥の森」と呼ばれる森が広がっていた。原発事故後、樹々は伐採され汚染水タンク置き場となっていたが、放射線量がいっこうに下がらない。そこでさらに、草木が生い茂る地面も銀色のモルタルで固められることとなった。結果、線量は低下して、現在は防護服やマスクなしでもいられる地となった。

《新しい森》 2017年

 現地へ足を運んだ小林エリカさんの目には、バスの車窓からの見渡すかぎり銀色の景色が焼き付いた。その光景を描いたのが今作。抽象絵画かと思われた絵は、見たままを忠実に描いた写実的な作品だったのである。

 アートは個人が自由な想像を働かせたうえで生まれてくるものと、まずは思われている。それはそうなのだけど、どんな人もある時代、特定の地域に生きるのは当然であって、人がつくり出すものは時代と場所の影響を必ず色濃く受けるのもまた事実。

 小林エリカさんがギャラリー内で展開している作品は、時代としっかり切り結んだ表現ばかり。だからこそ、同じ時代を生きる私たちに強く、まっすぐ届いてくるのだ。