農民の支持を取り戻す“原点回帰”
「畏敬」や「畏怖」といったハードの力だけでは多様化する現代社会で根強い支持は得られない。習氏は各地で庶民と直接接触し、親しみやすいイメージを作るソフト戦略を重視した。
二〇一五年の春節前には陝西省北部の寒村、延川県梁家河村を訪れた。習氏が文化大革命期、都市の学生に肉体労働を経験させる下放政策で七年間、農耕生活を送った土地だ。山腹に幅二メートル、高さ三メートルの横穴を掘った「窯洞(ヤオトン)」と呼ばれる横穴式住居で農民と共に暮らした経験があるだけに、農民との接し方は十分身についている。
習氏は歓迎に集まった二百六十人の村民を前にハンドマイクを握り、「みんなに会えてとても親しみを感じる。一九六九年一月、私は人生の第一歩を踏み出すためこの梁家河にやって来た」と話しかけた。当時の知り合いは七人に減っていたが、彼らと手を取り合いながらごく自然に昔話をする様子がテレビで流れた。夫人を帯同し、「これは妻の彭麗媛です」と地元方言で紹介もし、飾らない姿を印象付けた。
中国共産党は地主に虐げられた貧しい農民を組織することで、都市に拠点を持つ国民党を打破した。ところが建国後、党は既得権益集団と化し、大衆から遊離した。今や最も弱く、苦しい生活を強いられているのが農民である。農地は汚染され、都市への出稼ぎ農民は劣悪な生活状態に置かれている。習氏の農村視察は、党の基盤である農民の支持を取り戻す原点回帰の意味が含まれている。
「総書記と同じ肉まんが食べたい」客が殺到
インターネットでのPRにも力を入れている。よく知られているのは、「肉まんを食べる総書記」の動画だ。習氏は二〇一三年十二月二十八日正午、側近を伴い北京市内にある老舗肉まんチェーン店「慶豊包子舗」の月壇店を訪れた。ミニブログ・微博(ウェイボー)を通じて広まった映像には、側近のほか護衛と思われる長身の男性が一人そばに寄り添うだけの警備だった。習氏はカウンターの列に加わって雑談をした後、豚ネギ肉まんとレバー炒め、からし菜を注文し、ポケットから代金二十一元(約四百円)を取り出して支払った。プレートを受け取ると席まで運び、一般客と一緒に食べる様子が一部始終、動画で流れた。
民情視察パフォーマンスは官製新聞やテレビの記者を同行するのが通例だが、メディアはネット上で転載される動画を引用して一斉に後追いをする形となった。権力者の作為を感じさせず、自然に伝わるよう練られた宣伝だ。中国誌『南都週刊』(二〇一四年一月四日)の取材によると、習氏らの一行は日産のワゴン車「CIVILIAN」で乗り付け、約二十分、頼んだ料理を残さず食べて立ち去った。付近も車両規制や通行規制は敷かれなかったというのも異例のことだ。
宣伝の効果があって同店には総書記セットのメニューが登場し、各地からの観光客が殺到した。私は一か月後、同店を訪れたが、なんの変哲もない肉まんを食べるのに、一時間の行列を作っている光景は驚きだった。並んでいる人たちは「総書記と同じものが食べたい」とお構いなしだった。他の国では想像できない現象かも知れないが、これが現実である。
ネットでは習氏を含めた指導者をキャラクター化したアニメ動画も登場している。二〇一五年二月の春節前にはネットで、党が大衆を重視し、腐敗撲滅に努めているとする政治宣伝のアニメ動画三本が流され、中でも習氏のキャラクターが金棒を持って虎を殴りつけるシーンが話題を呼んだ。言うまでもなく、「ハエも虎もたたく」反腐敗を虎退治に例えたものだ。
だが習近平政権下では、自身のPRに余念がない一方で、党内世論だけでなく、メディアやネットでの規制強化、人権派弁護士の弾圧など強権的な手法が目立つ。
習氏の父親・習仲勲は農民の出身で、文化大革命期を含む十六年間、政治的迫害を受けながら自らは政治闘争とは一線を画した。その高潔な生き方が多くの党員に親しまれ、民主改革派知識人にも支持者が多い。習近平氏は父親の人脈や遺徳を背景に、革命世代の二代目「紅二代」として広範な支持を得ている。
習仲勲は苦い政争の経験から「異なる意見を保護する法」の構想を抱いていた。個人に権力が集中し、多様な意見が反映されないことが不幸を生む悲惨が二度と起きないよう願ったものだ。
習近平氏が父親の教えをまだ覚えているのかどうか。現段階では悲観的にならざるを得ない。
出典:文藝春秋2016年2月号
著者:加藤隆則(ジャーナリスト)