単純な“パフォーマンス”で“農民層”を掴む――“毛沢東レベル”に近づく習近平の“承認度”
共産党による一党独裁国家に政権の支持率を計る世論調査は存在しないが、「言論・思想統制下における承認度」を推計してみる。文化大革命で全国民を洗脳した毛沢東の最盛期は間違いなく九九%だが、行き過ぎた個人崇拝で国民を災難に巻き込んだ。死後、「功績が七分、過ちは三分」と歴史的な評価が下されたことを踏まえれば、晩年は七〇%に落ち込んだ。習氏はそのレベルに近づいていると見てよい。
その理由を説明するには、習氏が政権を引き継いだ二〇一二年十一月の状況を振り返る必要がある。トウ小平を“総設計師”として進められた改革・開放政策は、GDPで中国を世界第二の経済大国に押し上げる一方、社会に拝金主義を蔓延させ、権力を握った者が富を支配する現象を生んだ。党・政府の腐敗、道徳の荒廃、貧富格差の拡大など危機的な社会問題が噴出したが、歴代政権は有効な対応ができず、庶民の不満は高まるばかりだった。
総書記に就任するまで低姿勢を貫いた習氏の手腕は未知数で、評価は半々だった。だが習氏は就任直後、バラバラになった国民をまとめるためのスローガン「中国の夢」を語り、こぶしを振り上げるパフォーマンスを見せた。侵略を受け半植民地となったかつての大国が力を取り戻し、偉大なる中華民族が復興を遂げるとの物語だ。習氏はこう訴えた。
「我々は歴史上、いかなる時期よりも中華民族の偉大な復興の目標に近づいている。歴史上、いかなる時期よりも自信を持ち、目標を実現させる能力もある」
過去の難解な社会主義理論の標語とは全く異なり、子供でも分かる言葉だ。インテリは白けたが、多数を占める素朴な農民は胸を躍らせた。外国人が中国を見るときに注意しなければならないのは、自分がどう思うかではなく、まず中国人がどう思っているかを肌で感じることだ。中でも多数を占める農民の目線を理解できなければ中国は分からない。
有力者を次々に摘発――“有言実行ぶり”に庶民は“畏敬の念”
スローガンだけで社会は変わらない。目に見える刀が前例のない規模の腐敗撲滅運動だった。トカゲの尻尾切りに過ぎなかった過去の摘発とは決別し、「ハエも虎も分け隔てなくたたく」とこれまた分かりやすい口上で決意を表明した。
多くの国民は半信半疑だったが、習氏は有言実行した。ハイライトは、政権の要である公安・安全部門を牛耳り、莫大な石油業界の利権を支配した元党中央政治局常務委員の周永康・前党中央政法委員会書記を収賄、職権乱用、国家機密漏洩罪で無期懲役に追い込んだことだ。最高指導部の常務委員経験者は「法に問われない」とする不文律があったが、習氏の腕力はこれを打破した。悪者退治はいつの時代でも大衆受けする。悪者が大物であればあるほどその効果も絶大である。
まさかと思ったが、人民解放軍の元制服組トップ二人、徐才厚、郭伯雄元中央軍事委員会副主席も摘発した。一時は周永康氏らによる習近平暗殺計画が発覚するほど緊迫したが、習氏は軍を掌握し政治クーデターのリスクを回避した。伝統的に強い指導者を好む中国の一般庶民は、集権化を進める習氏に畏敬の念を持ち始めた。東シナ海や南シナ海での強硬な主権主張は、強い指導者の演出も計算に入れている。