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 転機はあっけなくやってきた。人間、80代にもなると病気のデパートだ。お袋の退院も間近というところで、お袋の入院している近所の総合病院から「お父様が倒れました。すぐにきてください」という連絡を受けたときは、しょうがないと思った。買い物中に腹が痛いと言ってひっくり返ったという。家で倒れたら見つかるのが遅くて助からなかったはずが、人でごった返したスーパーの中で倒れるとは、親父もなかなか運のいい男だ。結局、夫婦仲良く同じ病院に運び込まれていて、どこかで見たことのある医師が相変わらず深刻そうな顔で「命には別条はありません」と説明してきた。集中治療室の窓越しに寝ている親父を見やると、口元にあてた透明の酸素マスク越しに口をせわしなく動かしている。まさか「ガハハハハ」とか笑っているのではあるまいな。

 心配する家内や約束をしていた取引先に連絡を入れ、警備会社に実家の鍵を開けてもらった。正直、帰るのは十数年ぶりである。我が儘放題な親父とお袋に堪えかねて、折り合いの悪くなった我が儘放題の私は長年家を出たまま、誰からも迎えられることなく凱旋したというわけである。懐かしい記憶も、不愉快な思い出もたくさん詰まった古びた家だ。北向きの私の部屋は、半分物置になっていた。ヘルパーさんはちゃんと仕事をしているらしく、親父らしくなく綺麗に畳まれた洗濯物や、丁寧に掃除されたカーペットにはゴミ一つ落ちていなかった。ただ、どうやら私が手配した弁当屋はいつの間にか解約したらしい。親父が男手で料理したと思われる缶詰類が台所のゴミ袋に山と詰め込まれている。カロリー計算も食事のバランスもあったものではない。年寄が何ていう食事をしているんだ。そりゃ倒れるわ。

 親父の保険証を探すべく、書類入れを漁ってみると、果たして後期高齢者保険証はぐちゃぐちゃながら存在した。しかし、それ以上に困ったのは支払われないまま放置された税金関連の書類と、大量に届いている請求書、そして滞納に対する督促状の束だった。どれも未開封で、一人暮らしになった親父の「絶対に支払うつもりはない」という強固な意志を感じさせるには充分な書類の数々である。いったい何をしているんだ、親父。しかし、とっくに督促期限が過ぎている住民税や固定資産税の書面にはいますぐ差し押さえるぞぐらいのことは当然書いてあるし、そればかりかまだ入院中のお袋の入院費用の請求まで無視ぶっこいてたことに気づいて、私は失神しそうになった。何で払わないんだ。仕方がないので、支払いの目録を作って一つひとつ連絡して回り、その場で支払えるものは片っ端から払っていく。

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 ……と、書類入れの下のほうから、これまた封の開いていない家庭裁判所から親父宛の分厚い書類が出てきた。随分、古い。中には、調停の決定という書類とともに、私の人生で見たこともない人物の名前と、それらが親父の家族であり、子供であるという内容が記されていて目を疑った。またか。別の封書には先方の代理人からと思われる文書が入っており、妙齢の女性と若かりし親父が赤ちゃんを満面の笑みで抱き上げている写真が、そこにはあった。何だこれは。腹が立つとか、悲しいとかいう感情ではない。最初に湧き上がったのは、しょうがない。これはしょうがないのだ、という虚しい心である。

 私は、深く、大きく息を吐いた。

 私の家でも、それなりの苦労はあったし、老齢に達して病に伏す親父とお袋をどう面倒見ていくのかという重い課題はある。しかしながら、それとは別に日々を「ガハハハ」と笑い飛ばして明るく暮らしてきた親父には幾つかの顔があり、お袋との生活の裏側にもっと幸の薄い家庭があったのかと思うと、この果てしない虚無から這い出すべっとりとした怨念のようなものを感じずにはいられない。息苦しい。その苦しさから怒りがニョキニョキ湧いてきた。

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