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人生はもともとグロテスクなもの。自分を汚いと思ってしまう人を肯定してあげる小説って優しいと思う。──「作家と90分」東山彰良(後篇)

話題の作家に瀧井朝世さんがみっちりインタビュー

2017/05/28

genre : エンタメ, 読書

今頃になって、野坂昭如さんてスゲーなと思っちゃった

――そういえば、前に「いろんなものをお書きになっていますね」と言ったら、「小説は全部大衆文学だと思う」とおっしゃっていたのが印象に残っています。

東山 広大な本屋さんにある無数の本の中で、傾向というのは当然ありますよね。この傾向のものは純文学と呼ばれているとか、あの傾向のものはミステリーと呼ばれている、というのがある。でもどれも大衆が読むものだから、大衆文学じゃないかと思っていて。でもそれだと目当てのものが探せないからそのために分類されている、くらいにしか思っていません。

――以前、エルモア・レナードに影響されすぎてレナードから自由になれないと思った、その後、チャールズ・ブコウスキーを読んでからいまだにブコウスキーからは自由になれない、とおっしゃっていましたね。

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東山 自由になれていないですね。ブコウスキーは今から20年ほど前に読んだんです。僕は日本の小説ってそんなに読んでこなかったんですけれど、最近何人かの編集者から勧められたものを読んですごくよかったのがいくつかあるんです。たとえば、今頃になって野坂昭如さんってスゲーなって思っちゃった(笑)。『とむらい師たち』という短篇集の表題作が、お葬式をプロデュースして金儲けをしようという人たちの話なんです。主人公のお父さんが墓掘り人で、どうやら死姦をしていたらしい。彼が葬儀ビジネスで関わる美容整形の先生も、戦争中にアメリカ人を殺して食ったことがあるという。普通の会話の中でそうした話が出てきて、「人間とはそんなもんだ」「やりたくなりゃ死体ともやるし、腹が減りゃ親でも食うんだ」とさらりと書いている。野坂さんってすごく優しい人なんだろうなと思ったんです。

――優しい、ですか?

東山 生というのはもともとグロテスクなものだから、そういうこともトラウマに思う必要はないんだぞ、という。生きるためにはしょうがないんだと。そういうグロテスクなものを肯定してやろうというのは、ブコウスキーにも通じるなと思って。でも野坂さんのほうがもっと湿っている。なんか、そういうふうに思ったんですね。それで、今度河出文庫から出る『とむらい師たち』という文庫に解説を書きました。それと、西東三鬼さんという俳人の『神戸・続神戸・俳愚伝』も面白かったですね。

瀧井朝世さん ©鈴木七絵/文藝春秋

――ブコウスキーについても、グロテスクな中に美しさがあるというようなことをおっしゃっていましたよね。

東山 人生とは明るく美しいものだと思い込んでいる人がいたとして、でも自分の中にそうではないものを発見した時に、すごく自分を汚いもののように思うかもしれない。でも人生はけっして美しいばかりじゃないと言ってくれている。ブコウスキーや野坂さんの文章を読んでいると、そのグロテスクなものも肯定しないまでも否定しないので、それで優しいなと思うんです。

――今後、野坂さんの影響も受けていくかもしれませんね。この先の執筆のご予定は。

東山 『小説現代』にポツポツ掲載させていただいている『有象くん無象くん』という、アレゴリー文学っぽいユーモア小説を連作短篇として書いたので、それが年内か年明けには出ると思います。『オール讀物』では、例のナイポールにがっつり影響を受けた、現代の台湾のある通りを舞台にした、9歳の男の子が主人公の連作短篇を掲載していく予定です。