父親が主人公のモデルだった『流』。今度は僕と同年代

――新作『僕が殺した人と僕を殺した人』(2017年文藝春秋刊)、直木賞受賞作『』(15年講談社刊)のような青春小説かと思ったら、また違う展開で驚きました。『流』の主な舞台は1970年代の台湾・台北でしたが、こちらは1984年が主な舞台。でも物語は2015年のデトロイトから始まります。全米を震撼させた連続殺人鬼“サックマン”が逮捕され、面会に訪れた男が過去を振り返る。彼は30年前、台北の町で“サックマン”と共に少年時代を過ごしていた――。この物語の出発点がどこにあったのか非常に気になります。

東山 台湾を舞台にした小説は『流』だけで終わらせるつもりはなかったんです。『流』の17歳の主人公は僕の父親がモデルでしたが、今度はもう少し自分に近い目線にしようと考え、1984年に13歳という、僕と2歳くらいしか違わない主人公にしました。なので自分で知っている時代の空気を織り交ぜつつ書きました。『流』ははからずも読んでいただいた方から、戦争に言及した小説としての感想を多くいただきましたが、今作はもっと純粋に娯楽作品として書きました。

『流』は父の実体験の話も多いですが、今作はほとんどが僕の想像です。でも一部分、実際に起きた事件もありますね。僕の記憶が間違っていなければ、毒蛇が200匹くらい脱走した事件は本当にあったことです。

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僕が殺した人と僕を殺した人

東山 彰良(著)

文藝春秋
2017年5月11日 発売

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――『流』と登場人物は異なりますが、おじいさんたちが主人公のユンに「迪化街で布屋をやっていた兄弟分が10年前に殺された」という話をしますよね。これは『流』のお祖父さんのことですよね?

東山 あ、気づいてくれましたか(笑)。どちらも僕が知っている街を舞台にしていますが、『流』が1984年くらいに終わり、こちらが1984年に始まるのでちょっとだけシンクロさせています。子どもたちの天敵、ファイヤーバードに乗った胖子(パンズ)も出てくるし、果物トラック売りの人も出てくる。本当はもうちょっとシンクロさせたかったんですけれど、あまりやっても嫌らしいので。これくらいだったら許してもらえるだろうかという。

――4人の少年たちの輝ける青春の日々だけでなく、月日が経ってその中の1人がアメリカで殺人鬼になるという構想はどのようにして生まれたのですか。

東山 影響を受けた映画や本がいくつかあるんです。たとえば『スリーパーズ』という映画は、これも4人の少年の物語で、ちょっとしたいたずらで事故を起こして4人とも少年院に入るんです。そこで性的暴行を受けた子たちが大人になった後、1人は新聞記者、1人は検事、2人はマフィアになる。マフィアの2人は自分たちを暴行した看守を偶然見つけて殺してしまって捕まり、残りの2人がどうにかして彼らを無罪にしようと策を練る。最初に発想としてはああいう感じのものがありました。

――1984年というと、東山さんはもう台北から福岡に移られた後ですよね。

東山 大学を卒業するまで夏休みはいつも台湾に帰っていたので、記憶にはよく残ってるんです。主人公のお兄さんが些細なことで喧嘩になって殺されますが、1984年に実際にこれと近いことが僕の身に起きたんです。台湾では月を指したら耳を怪我すると言われているんですが、僕は信じていなくて月を指したんです。その年の夏休みが終わる数日前、友人らと食事していて、店のトイレに行ったら酔った男性が用を足していたので、待ちながら何気なく口笛を吹いたんですよ。後からその男が絡んできたんです。「さっきのはどういう意味だ」って。大人が子どもにおしっこさせる時に口笛をぴゅーぴゅー吹いて誘導するのと同じことをされたと思ったみたいで。友達の手前カッコ悪いこともできず言い返したら、その人が怒ってビールのジョッキを投げつけてきたんですよ。それが耳に当たって、カーンと割れて、40針縫う羽目になりました。新聞に載りましたよ。「少年Aが酒場で乱闘」って(笑)。その経験って、ずっと小説を書いていても全然使い道がなかったんですけれど、あ、ここで使ってやろうと思って。

――40針……!!! さて、『流』は大家族の話というイメージでしたが、本作は核家族化が進んでいますよね。主人公、ユンのお兄さんが東山さんと同じような不幸なきっかけで亡くなり、そこからお母さんは精神的に病んでいく。今回、出てくる少年たちの家族はみな問題というか、事情を抱えていますね。それで、ユンは友達を助けるために、ある計画を立てる……。

東山 そこはたぶん『スリーパーズ』の影響です。子どもたちはみんなわりと明るく元気に暮らしているんだけれど、中にはお父さんがお母さんを殴るのをずっと見ていて、自分も殴られて入院した子もいる。

 僕が経験しなかったことの憧れもありますね。仲間のために命を張るということへの憧れがある。そんな憧れをなんとか昇華させたかったのかもしれませんね。