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台湾の仲良し少年4人組。30年後、その中の1人が全米を震撼させる殺人鬼に。超弩級青春ミステリ誕生。──「作家と90分」東山彰良(前篇)

話題の作家に瀧井朝世さんがみっちりインタビュー

2017/05/27

genre : エンタメ, 読書

note

深い闇が存在するにはそれだけの強い光が必要。13歳の季節はキラキラと……

――殺人鬼が捕まった、ということは物語の最初に明かされるので、少年時代のパートに関して読者は、「この中の誰かが殺人鬼になるんだ」と思いながら読むことになりますね。大人になってからのつらい現実を知っているからこそ、彼らの13歳の季節がとてもまぶしく思えます。

東山 『流』の場合は、とにかく自分がイメージする青春のキラキラしたまぶしいものを全部織り込みました。主人公が17歳だから恋もするし失恋もするし喧嘩もするし、仲間のためにやくざの組に飛び込むこともする。キラキラした光がさすからこそ、ちょっとした影も落ちていたと思うんです。この『僕が殺した人と僕を殺した人』、つまり『僕ころ』はその逆でいこうと思いました。『流』がポジだったら、これはネガでいこう、と。彼らの計画が意外な結果となり、大人になって1人が殺人鬼になるという。奇跡は起きません。本当に闇が深いんですが、その深い闇があるということは、当然それだけの強い光がなくちゃコントラストをなさない。それで、台湾パートの青春部分は、思いつく限りのキラキラ感を織り込もうとしました。

――主人公の年齢は13歳がよかったのですか。

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東山 そうですね。14歳、15歳になると女の子絡みのことも書かなくちゃいけないけれど、13歳ならまだ男の子の関係だけを描いていればいいかなと思いました。

――1984年といえば、オーウェルの『一九八四年』を連想しましたが、実際作中に出てきますね。

東山 そうなんです。僕は小説を読んだ時、すごく好きな言葉や印象に残った言葉があるとメモしておくんです。というのも、自分の中に好きな言葉が残っていって次第にそれが自分で考えたものなのか誰かの言葉なのか分からなくなる時があって。人の言葉を自分のもののように書いたらいけないのでメモしているんです。オーウェルの『一九八四年』を読んだ時は、作中にも引用した「正気かどうかは統計上の問題ではない」という言葉の意味が理解できなかったんですよ。でも『僕ころ』を書き終わった時、ああ、あの言葉はこういうことじゃないかって自分なりに腑に落ちたものがあったんです。それで、少し加筆しました。

東山彰良さん ©鈴木七絵/文藝春秋

――ラストまで書き切った時、どんな感触がありましたか。

東山 最初に書き上げた時は、まだ物語が全然伸びきっていない実感があって。それで長い間寝かせたんです。1話書いて1話連載というのではなく、ほぼ半分以上書いてから連載を始めたんです。それで、連載している間にもちょっと寝かせる期間を設けました。その結果、台湾のキラキラした時代に比べて、アメリカのパートが決定的に弱いと思ったんです。それでまたいくつかエピソードを加えました。そこで、たぶんようやく物語が伸びきったので、こうして本にさせてもらったんだと思っています。

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