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東山作品の強くて、美しくて、痛快な女性たちのモデルは?

――いつか父方のお祖父さんのことを書きたいと思っていて、その前に練習としてお父さんのことを書いたのが『流』だった、と前におっしゃっていましたよね。

東山 祖父の話もいずれ書きたいと思っていますし、その前にもっと年齢を下げて、たとえば現代の子どもが主人公の物語というのも書きたいなと思っていて。それも、今とはまるっきり別の、一歩引いた、熱くない文体で。というのもこの本を書いている時に、編集者からナイポールの『ミゲル・ストリート』という本を教えてもらったんです。小野正嗣さんと小沢自然さんが訳された本で、カリブ海のトリニダードの少年の目線で、ミゲル・ストリートにいる人たちのことを描いている。僕は最近読んで、この感じで書きたいって思ったんですよ。細かい描写は一切せず、その人がどういう洋服を着ているとか、どういう顔つきなのか分からなくて、すごく近しいのに一歩引いているような……。そんな感じで台湾を描いてみたい。その時はおそらく廣州街という、僕がよく知っているところから離れて別の場所を舞台にすると思います。

――若い世代を書く時に、台湾を舞台にしたほうが書きやすいというのはありますか。

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東山 台湾のほうが書きやすいかどうかは分かりませんが、マジックリアリズムというのがすごく好きで。台湾は確かに信心深いところがあって、そういう表現をする余地が残されている気がします。日本でそれを書くと、読者はもう日本のことをよく知っているので、どこか嘘っぽく読めてしまうかもしれない。国境を越え、日常とはちょっと違った場所を舞台に設定することで、マジックリアリズム的なものが書きやすくなる。

――『流』でも不思議なことが起きましたよね。台湾の作家、呉明益さんの『歩道橋の魔術師』でも不思議なことが起きたし、台湾にはマジックリアリズム文学があるのかと。

東山 確かに神仏をおろそかにしない人が多いですね。『僕が殺した人と僕を殺した人』の中でも占いで物事を決める場面が出てきますが、僕の家族も例えばお墓参りに行ってそろそろ帰っていいかとご先祖様に聞く時に、コインを2枚出して放って、それが表と裏に分かれてご先祖様の許可をもらえるまではとりあえずその場に残っています。

――ところで、『流』に出てくる女性たちはみんな気が強くて痛快ですが、彼女たちもモデルがいるのでしょうか。他の作品、たとえば『ラブコメの法則』(14年刊/のち集英社文庫)は福岡を舞台に女系家族に生まれた青年のラブコメで、こちらも女性たちがみんな美形で個性的で強くて。

瀧井朝世さん ©鈴木七絵/文藝春秋

東山 本当に僕にああいうおばさんたちがいるんです。ずっと親戚だと思っていたけれど、実は赤の他人だったというおばさんが(笑)。祖父母があちらのお父さんお母さんと友達で、小さい時からそのおばさんの家に遊びにいっていたんですが、5人姉妹なんですよ。だから大きいおばさん、2おばさん、3おばさん、4おばさん、5おばさんって呼んでいました(笑)。3おばさんが男らしくて、悪いことをどんどんさせてくれる。小学校5年生くらいの時にオートバイの乗り方を教えてくれて、中学生くらいで「車を運転してみろ」って。2おばさんはすごく美人で、高校の同級生にブリジット・リンという、アジアが誇る台湾の美人女優がいて、僕は憶えていないんですが、彼女がデビューする前の高校生の時に、2おばさんと彼女と僕の3人で映画を観たらしいです。