物語が勝手に終わるまで自分の都合では終わらせない
――それにしても、『流』と『僕が殺した人と僕を殺した人』の間に、中央公論文芸賞を受賞したディストピア小説『罪の終わり』(16年新潮社刊)があると思うとすごいふり幅ですね。これは文明が崩壊した後のアメリカ大陸が舞台で、人と牛を掛け合わせた2本足で歩く牛が登場するなど奇妙な世界が描かれる『ブラックライダー』(13年刊/のち新潮文庫)の前日譚となる作品です。
東山 実は『罪の終わり』は『流』が出る前に脱稿していたんです。『ブラックライダー』の後に『流』を書いて、『流』を寝かせている間に『罪の終わり』を書き始めたので。
これまでも一生懸命書いてきたんですけれど、やっぱりどこかに邪念があったと思うんです。物語が伸びていく方向ではなくて、たとえば映画化しやすい方向に展開させてみるとか。けれども本を出してくれるところがまだあるうちに、余計なものをとっぱらって書こうと思ったんです。書いていて分岐点に差し掛かった時に、こっちにいった方が映像化しやすいというのは取り除き、物語が本当に伸びていきたい方向に、僕が導くんじゃなくて、僕が連れていってもらう。それで物語が勝手に終わるまで自分の都合では終わらせない。それはこの『僕が殺した人と僕を殺した人』でもできたと思います。
――初めて物語が伸びる方向に任せて書き切ることができたのが『ブラックライダー』だったと。
東山 そうです。『ブラックライダー』は3章から成るんですけれど、最初の計画では1章の西部劇だけで終わろうと思っていたんです。書き終わった後に、いや、この物語はここで終わっていないと思い、残りを書いたんです。これを書いてふっきれて、その後は売れなくてもいい、書きたいように書くと思えるようになりました。『ブラックライダー』は自分を変えてくれた物語だと思っています。
――最初に引用されている、スティーヴン・クレインの詩が、この物語が誕生するきっかけだったとうかがっていますが。
東山 それまでもマッカーシーの『ザ・ロード』とかを読んで、ディストピアものを書いてみたい気持ちはあったんですよね。ゾンビものも昔から好きだし。でも、自分にはハイテクな未来は表現できない気がしていました。それで、その詩に出合った時に、「あっ、これ」となって。ちょっと西部劇っぽい詩だったんですね。荒野とか砂漠とかいう言葉が出てきたので。そこから、スチームパンク的な、文明が滅んで原始的な社会に戻って、また馬と拳銃がものをいう世界だったら書いていけるんじゃないかと思いました。
――じゃあその時に『罪の終わり』の構想もできていたんですか。
東山 全然なかったですね。『ブラックライダー』を書いていて、黙示録の四騎士というのが出てきた時に、黒は出したからあと3人いるなと思っていて。この世界観は書いていて本当に楽しかったので、それで『罪の終わり』では白騎士というのを出しました。この作品では、黒騎士の名前の由来が、白騎士に敵対する人間を黒騎士と名付けたという設定にしているので、その白騎士の話を書いたんです。将来的にまた何かひらめくものがあったら、ペールライダーとレッドライダーを書きたいな、なんて思ったりしますね。
――『罪の終わり』は罪で罪を浄化する救世主みたいな存在が現れる。モラルを問いかける深い内容だったので、そこが出発点かと思いました。
東山 今となっては曖昧ですが、でも確かに価値観を相対化したかったというのはありましたね。アメリカが舞台なので究極の価値観というとキリスト教になりますよね。人間が本当に追い詰められた時に、キリスト教を守って餓死するのか、それに反して人肉を食うのか。人肉を食うのは自分のためだけじゃなく、もしかしたら家族を守るためかもしれない。そういう、当たり前の生活をしていると試練にさらされない信仰とかモラルが試練にさらされた時に、綺麗ごととして持っているモラルや価値観を持ち続けられるのだろうか、という疑念は常に抱いていたと思います。
東山彰良(ひがしやま・あきら)
1968年台湾生まれ。5歳まで台北で過ごした後、9歳の時に日本に移る。福岡県在住。2002年、「タード・オン・ザ・ラン」で第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞。2003年、同作を改題した『逃亡作法 TURD ON THE RUN』で作家デビュー。2009年、『路傍』で第11回大藪春彦賞受賞。2013年に刊行した『ブラックライダー』が「このミステリーがすごい! 2014」第3位、第5回「AXNミステリー 闘うベストテン」で第1位となる。2015年、『流』で第153回直木賞受賞。2016年、『罪の終わり』で第11回中央公論文芸賞受賞。他著に『ラブコメの法則』『キッド・ザ・ラビット ナイト・オブ・ザ・ホッピング・デッド』『ありきたりの痛み』など。
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※「人生とはもともとグロテスクなもの。自分を汚いと思ってしまう人にそう肯定してあげる小説って優しいと思う。───東山彰良(後篇)」に続く