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証人は仏像専門家ではなかった

 慧門元僧侶の意見書ではこの点を突いている。

 まず、浮石寺の証人として証言を行った専門家が仏教、ひいては仏像専門家ではないと指摘した。意見書にはこう書かれている。

「証人尋問に出席した人物は、日本語学、そして韓日関係・韓日文化についての専門家であり仏教美術の専門家ではない。仏様の腹蔵物奉安は仏教の宗教儀式と関連した事項であり、僧侶や仏像専門の美術家でなければ内容と儀式を知り得ない秘密めいた分野である。この問題に対し専門家ではない日本語学教授が、ただ何者かの意見を聞いて話した信頼できない陳述を裁判所が有力な証拠として採択するのは納得し難い」

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 次に「浮石寺には証言を裏付ける証拠がない」と一蹴。「浮石寺は『移安』の際は腹蔵物をとり、新たな記録を入れるとしているが、それは一般的ではない。他の寺に移されるという移運記録がなければ盗難されたとするのは飛躍した見解であり、証拠とはなり得ない」として、韓国の複数の寺の事例を挙げた。

 例えば、韓国の宝物1649号に指定されているソウル市内にある開運寺の『阿弥陀如来坐像』の場合。この仏像は2010年4月23日に韓国の宝物に指定されたが、韓国文化財庁の記録によると、この仏像は忠清南道・牙山市にある縮鳳寺で造られ奉安されていたと書かれていて、しかし、開運寺に持ち込まれるまでの移運記録などは発見されていないという。

 さらには、当の浮石寺に奉安されている『木像阿弥陀如来坐像』についても、公開されている記録によると、他の寺に奉安されていたものが、1905年に浮石寺に移されたとし、「これは仏像が仏教の教団内部の事情や僧侶の判断によって移動するもので、盗難や略奪により移動したものではないことを表わしている」と言及している。

浮石寺は「倭寇に略奪された」と主張

大田地裁の判決公判を終え、取材に応じる浮石寺の住職 ©共同通信社

 慧門元僧侶が言う。

「大田地裁が認めた、仏像を浮石寺の所有とする根拠は根拠になり得ない。盗難事件であるこの問題を、国と国との文化財返還問題と錯覚して状況が膠着してしまった。ともかく早くこんな裁判は終わりにすべきで、『観世音菩薩坐像』はすぐに日本に戻すべきです」

 もとよりこの裁判が行われることになったのは、浮石寺が主張する「倭寇に略奪された」という証拠が見つからないためだ。

 仏像の所有を主張する浮石寺は、犯人が逮捕されると仏像を動かせない「有体動産占有移転禁止仮処分」を大田地裁に申請した。仮処分は2013年2月に認められ、効力3年の間に「倭寇に略奪された」ことを立証しなければならなかったが、決定的な証拠はみつからなかったようで、そのまま2016年2月には効力が切れてしまった。

 ところが、その翌月の3月に観音寺の前住職と現住職が韓国文化財庁などに早期の返還を促す手紙を送ったことを知ると、浮石寺側は今度は保管中の仏像を寺に引き渡すよう「有体動産引き渡し」の訴訟を4月20日に起こした。

 浮石寺にも観音寺にも記録がない限り、数百年前の出来事を誰が知り得るというのだろう。

あくまでも金銭目当ての窃盗事件

 前出の記者が言う。

「問題が山積みの新政権にとってもこの事件は“刺さった棘”であることに変わりない。政府は司法が正しい判断をすることを望んでいるのではないか」

 第二審の次の公判は6月13日に行われる予定だ。大田地裁は慧門元僧侶の意見書をどう読み、どんな判決をだすのか。

 ちなみに、「観世音菩薩坐像」と共に盗まれた海神神社の「銅造如来立像」は、犯人の裁判が終了した後の2015年7月、海神神社に戻された。

 そして、捨てられたといわれる多久頭魂神社の高麗経典については、出所した犯人と今春、接触した人物がこんなことを明らかにしている。

「高値で売れる大事な経典。捨てるわけはないと思って訊くと、やはり、どこかに売り飛ばしたようだよ」

 あくまでもこの事件は金銭目当ての窃盗事件なのである。