カリスマが陥りかけた「部活エクスタシー」というワナ
部活動の問題点を訴えてきた真由子氏が、部活動にハマりかけたことは、意外と知られていない。真由子氏自身は、部活動がもともと好きというわけではない。だが、それに関係なく部活動には、先生たちを夢中にさせてしまう空気がある。
2014年4月に配信された「部活中毒、そしてエクスタシー」というなんとも刺激的なタイトル記事で、そのときの様子を真由子氏はこう語っている。
《今日一日中、試合に携わり、また審判をしました。
少しずつながら審判の技能も向上し、以前よりは審判を楽しめるようになってきました。
そんな中で生徒が技術的な向上を見せ、またそこでの成功体験からくる成長を目の当たりにしたとき、教師としては喜びを感じざるを得ません。
その際の笑顔、仕草、充実感に満ちた様子は、学習においての成長の瞬間と比べても遜色ないのではないかと思えるほどです。
審判や監督をして身体的な疲れはありますが、「なんだかよかったな。教員として頑張ったな」という感想をもった一日でした。
これが。
これが部活動顧問の中毒性なのだと思います。
自分の趣味や、教材研究や学級事務、読書や家事や、その他もろもろの自分の時間を大切にしたいと考える教員の、正常な感覚を蝕む中毒性なのだと思います。
「土日、休みたいけれども、生徒の成長が見られるから練習試合を組もう」
「保護者の要請もある。そしてなにより生徒の充実感を支援してあげなくては」
などなどの、教員冥利に尽きる部分を刺激してくるのです。
私もそうですが、教員になる人間というのは、生徒が大好きでたまらない人間がほとんどだと思います。
私も学級で、廊下で、さまざまな場所において中学生と接するのが好きです。
ふとしたきっかけで話し、またそこから生徒との信頼関係が始まる。
できるだけ多くの生徒と触れ合い、そしてそこから得られるものがあればと切に願います。
それが土日の部活動においてもなされるのです。
そして当初は部活動に疑念を抱いていた教員も、次第に感覚を麻痺させ、土日を部活に費やすようになるのでしょう。
(略)
中毒の先の快楽へ、「生徒のために」というエクスタシーを求めて。
私は、正直、今日の部活は楽しかったと感じました。
そして、同時に、そんな状態になっている自分を恐ろしくも思いました。
ライフワークバランス、そして、パートナーとのバランス、さらには将来授かるであろう我が子とのバランス。
それらを考えていくと、部活の制度というのは絶対的に根本における欠陥を抱えており、不条理と言えるほどにおかしい制度なのです。》
2014年4月26日「部活中毒、そしてエクスタシー」