福島清彦氏

日本は世界で一番豊かな国である――。こう述べると、自信喪失のただなかにある多くの日本人は「空元気はやめてくれ」と言いたくなるかもしれない。長期デフレを克服できず、GDPでは中国に抜かれ、人口減で衰退の道を進むほかない。そんな日本像が蔓延しているからだ。

 しかし、それは誤解である。GDP中心主義、すなわち経済成長率が豊かさを計る唯一の基準だという誤った認識に基づいているからだ。日本のように成熟した経済先進国が、大幅な経済成長を続けられるはずがないし、それを目指す必要もない。

 実は、今、一国の豊かさについて、新しい考え方が、欧米各国に浸透しつつある。それは経済活動の規模(GDP)を前の年に比べてどれだけ大きくしたか(経済成長率)ではなく、国民の福利厚生度がどれだけ高い水準にあるか、将来にわたってその水準を維持し、さらに高めてゆく能力があるかを判断の基準にするものだ。

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 すでにEUでは、二〇二〇年に向けての長期戦略で、GDPという言葉を使っていない。その代わりに眼目となっているのは、若者の学力向上や、貧困者数削減など五項目についての具体的な数値目標である。米国でも二〇一〇年度の予算教書では、母子家庭数、銃による死亡者件数、高校中退者数などの推移を「社会的な諸指標」として、それらの数値改善を政策課題として重視している。

 そして、こうした動きのさきがけとなったのは、二〇〇九年に米コロンビア大学のスティグリッツ教授が主査となってまとめた、新しい経済指標である。この報告書は『暮らしの質を測る』(金融財政事情研究会)として邦訳もされているが、これに基づき、二〇一二年、国連が主要二十国を対象として、新しい経済統計(以下、国連新統計)を発表した。

 この国連新統計では、(1)国民の頭脳力である人的資本、(2)ヒトが生産した資本、(3)国民の信頼関係である社会関係資本、(4)農業や鉱物資源を中心とした天然資本の四つの資本(この四資本については後に詳しく述べる)に着目し、これこそが、その国の国民の生活の豊かさと、経済の持続性を表すものだとしている。この四資本のうち、数値化の難しい社会関係資本を除く三資本の資本残高を計算した結果(二〇〇八年の統計データを使用)、日本は国全体ではアメリカに次いで二位、一人あたりでは四十三万五千ドル(二〇〇〇年米ドル換算)となり、二位米国の三十八万六千ドルを一三%も上回って、ダントツの一位となったのだ。

 

 特に高く評価されたのが、国民の教育水準や業務遂行能力である人的資本の水準が高いこと(日本三十一万ドル、米国二十九万ドル)と、生産した資本の水準が高いこと(日本十二万ドル、米国七万ドル)だった。つまり、ヒトが充実した人生を送るのに役立つ教育力と、経済が高い生産性を維持するのに必要な企業設備や道路港湾などの諸設備の水準が、日本は他のいかなる国より高いのである。