GDP偏重のアベノミクス
こうした結果に、多くの日本人は戸惑うかもしれない。それは、従来のGDPによる価値観があまりに浸透してしまっているからだ。たとえば一人当たり国内総生産GDP(二〇一三年)を見ると、調査機関によって多少の違いはあるが、シンガポールの方が日本より上で、今後の経済成長率と為替レートの変化を考えると、韓国や台湾が一人当たりGDPで日本を抜く日はそう遠くないと思われる。日本の順位は二十四位から二十八位で、世界一位の人的資本や生産した資本に比べ、全く振るわない。この差は何によるのか。
最も大きな要因は高齢化である。基本的にはもう働かない、六十五歳以上の人口が二五%にものぼるためだ。一九九七年以降、日本ではますます就業者数が減っている。働く人が作った生産高を、(働かない人の数をも含めた)全人口で割ると、一人当たりの生産高(GDP)はどんどん小さくなる。単純な算数の計算問題であって、日本人の生産能力が落ちたからでも、日本経済が「失われた二十年」を送ってきたからでもない。
総人口も減っているので、総消費額にも減ろうとする力が働いている。経済は生産と消費(供給と需要)で成り立つが、その両方とも増えにくくなっているのだ。
現在、安倍内閣は依然として「二%の成長戦略」を目標に掲げ、いくつかの審議会を作って戦略の練り上げに余念がない。だが、二〇一四年十月九日に、民間のエコノミストたち約四十人の経済予測を集計した調査によると、一四年度の成長率は平均〇・三四%で、二%とは程遠いが、これは最近になって、弱気のエコノミストが増えたからではない。人口面だけみても、これからの日本に生産高を拡大する意味での「成長」はありえないのだ。そして、それは当然のことで、別に構わないのである。
その昔、筆者が小学生の頃、健康優良児という表彰制度があった。身長体重とも特に大きい児童を学年で選んで表彰するのである。国民が栄養不足で悩んでいた時代の制度だが、育ち盛りの小学生ならば、それもいいだろう。しかし、立派な体格の成人となったあとも、まだ毎年二センチ身長を伸ばすことを目標に、過度な栄養を摂取し、ジムに通いつめたらどうなるか。失望感と疲れだけが残ることは明らかだ。毎年二%の成長戦略を求めてもがく安倍内閣を見ていると、立派な大人が健康優良児を目指しているように思えてならない。つまり、それは誤った目標の立て方なのである。