いまから70年前のきょう、1947年6月5日、アメリカ国務長官のジョージ・C・マーシャルがハーバード大学で演説を行ない、第二次世界大戦により疲弊したヨーロッパ諸国に対して復興援助を供与する意思のあることを表明した。「ヨーロッパ復興計画」、いわゆる「マーシャル・プラン」の始まりである。
翌7月には、マーシャル・プランを受け入れ、復興計画を練り上げるため、西欧16カ国(のち18カ国)がCEEC(ヨーロッパ経済協力委員会)を結成。一方で、ソ連は、すでに始まっていた東西冷戦を背景に計画への参加を拒否し、東欧諸国もこれに同調する。48年4月には、CEECの作成した復興計画にもとづき、アメリカは援助管理機関として経済協力局を設立。西欧の側でも、計画の実施にあたり援助の受入れ体制を整えるための機関としてOEEC(ヨーロッパ経済協力機構)が設立される。なお、OEECはのち1961年、OECD(経済協力開発機構)へ改組・発展した。
マーシャル・プランは西欧諸国の経済復興におおいに貢献するとともに、アメリカには自国製品の輸出市場を拡大する結果をもたらし、ヨーロッパにおける影響力を強めた。その援助の内容も、冷戦の激化にともない、しだいに軍事的色合いが濃くなっていく。