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連載中野京子の名画が語る西洋史

中野京子の名画が語る西洋史――子供が泣いても我関せず

2017/05/25

子供が泣いても我関せず

ヴィーナスに困らされるクピド 1525年頃、油彩、81.3×54.6cm、ロンドン・ナショナルギャラリー
©ユニフォトプレス

 ここにいるのは母子である。たとえそうは見えなくとも。

 神話によれば、アモル(=クピド、キューピッド、エロス)はハチミツを盗もうとして蜂に刺された。泣きべそをかきながら母ヴィーナスのところへゆくと、彼女は息子を諭して曰く、おまえがやみくもに放つ愛の矢も、同じように相手の心に苦痛を与えているのですよ、自戒しなさい。

 愛欲の女神が言うのでは、とんと説得力なしだが……。

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 このエピソードをおそらく世界一気に入ったのは、クラナッハであろう。なにしろ知られているだけで二十点は描いているのだ。どれも石ころだらけの地面に立ち、オールヌードのヴィーナスは宝飾品を付けている。

 本作はとりわけ奇妙だ。巨大な円盤形の帽子をかぶっているせいだろう。クラナッハが宮廷画家として仕えた十六世紀のザクセンで流行していたもので、平帽にたくさんスラッシュを入れ、そこに鳥の羽を丸めて差し込んである。さらに首には宝石を嵌めたネックレスと、太くて重たげな金鎖を巻いている。後者の鎖はフランスやイングランドでは男性専用だったが、ドイツでは女性も愛用した。

 こんなふうに首から上だけがごてごて飾り立てられているので、他に何も身につけていないということがいっそう強調され、官能を刺激する。

 肉体表現も独特で、同時代の画家たちが描く女神の豊穣さからは遠い。小さな胸となよなよした発育不全な上半身、一方で成熟した下半身。変態チックだ。顔にも著しい特徴があり、ふっくらした頬と尖った顎は幼女風なのに、こちらを見つめる流し目の、何と妖艶なこと。クラナッハのヌードがヨーロッパ中の王侯貴族や富裕な市民に大人気を博したのもわかる気がする。

 それはともかくとして画面にもどろう。こんな母だから、息子が蜂に刺されて痛がっていても平気でいられるのだ。というか、そもそも息子の方を見ていないんですけど。

呪いの石?

小石だらけの地面に、一つだけ変な形の大きめの石。その上に何やら妖しげな図像が描かれている。エイリアンからの暗号だろうか、それとも呪いの石?――残念でした。全然違います。これは画家クラナッハのマーク。仕えていたザクセン公から拝受した栄誉ある紋章だという。翼を持つ蛇が王冠を被り、ルビーの指輪を咥えている。蛇のくねくね感は、彼の描く女体のくねくね感と実にみごとに響き合っている。

ルーカス・クラナッハ Lucas Cranach
1472~1553
ルターと交流があり、今も教科書に載る彼の肖像画はクラナッハが手がけたもの。

中野京子 Kyoko Nakano
作家・独文学者。最新刊『運命の絵』(文藝春秋)。連載は日経新聞夕刊「プロムナード」(木曜)など。

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2017年3月10日 発売

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