まるで自分のことが書かれたようだった
丸山 ボラさんが解説を書いてくれることになったのはどういう経緯で?
ボラ 韓国では、コーダという言葉自体が知られていなくて、関連したコンテンツを作ったのは、私がほぼ初めてだったんです。映画と同じタイトルの本も出版していたので、それで出版社から依頼がきたんです。
『デフ・ヴォイス』の原稿を読んだ時、本当に驚きました。これまでは、障害のない制作者が、ろう者を「障害がある人も一生懸命生きているんだから、私たちも一生懸命生きよう」というような視点で扱っているものがほとんどで……。
丸山 その辺りの事情は、日本でもそう変わりはありませんね。
ボラ そういう中で、ろう文化をきちんと理解して描かれた、しかもコーダを扱った小説に出会った。読んでみると、コーダに対する正確な理解に基づいていて。著者はコーダか、でなければろう者だと確信しました。あとがきを読んだら違っていたので、より不思議になり、気になっていたんです。
丸山 ありがとうございます。コーダとして共感するシーンはありましたか?
ボラ ほとんどのシーンがそうでした。中でも一番ぐっときたのは「奇妙な安堵感」という表現でした。私も、コーダの先輩たちに会う時に、この「奇妙な安堵感」を感じるんです。だから小説の中で、主人公の荒井尚人がある女性に会った時の、あの感覚。それはコーダだけが感じ、理解しているものだと思います。でも私はそれをどう言葉で表現すればいいのか分からなかった。この小説の中ではそれをとても重要に扱ってくれていて、嬉しかったんです。読む文章、読む文章がみんな自分のことみたいで。自分も忘れていた感情の機微みたいなものが、読みながらよみがえってきたんです。
丸山さんは、どのようにろう社会を知り、コーダの存在を知ったんですか?
丸山 小説のあとがきにも書いたのですが、私が「ろう者」「日本手話」「コーダ」について知ったのは、すべて書籍を通してなんです。直接の取材はしていない。周囲にろう者も手話通訳士も、もちろんコーダもいなかったし、書いた当時はまだアマチュアでしたから取材するすべもなかったんです。
ボラ コーダへも事前調査、インタビューのようなものはしていないんですね?
丸山 ええ。書物で読んだのと、後は想像です。何というか、途中から完全に荒井尚人になりきって書いていたんですね。私は結局当事者ではないので、ろう者やコーダの気持ちが分かる、とは言えないんですが、荒井尚人の気持ちはよく理解できた。彼の抱えている鬱屈や葛藤というものは、私自身にも共通するものだったんです。
一方で、当事者ではないのに、こんなこと書いていいのか、自分の書いていることは間違っていないか、という迷いや不安もありました。それゆえに、本を出してから知り合ったろう者やコーダの人たちから、「コーダが書いたと思った」「自分のことが書かれているようだ」と言ってもらえたのが一番嬉しかったですね。ボラさんの「解説」もそうです。
イギル・ボラ●1990年生まれ。18歳で高校を退学、東南アジアを旅しながら自身の旅の過程を描いた中篇映画『Road-Schooler』(2009)を制作。韓国国立芸術大学で、ドキュメンタリーの製作を学ぶ。『きらめく拍手の音』は国内外の映画祭で上映され、日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭2015〈アジア千波万波部門〉で特別賞受賞。2015年に韓国で劇場公開を果たした。
まるやままさき●1961年生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒業。広告代理店でアルバイトの後、フリーランスのシナリオライターとして、企業・官公庁の広報ビデオから、映画、オリジナルビデオ、テレビドラマ、ドキュメンタリー、舞台などの脚本を手がける。2011年、『デフ・ヴォイス』で小説家デビュー。ほかの作品として『漂う子』がある。
『デフ・ヴォイス』
仕事と結婚に失敗した中年男・荒井尚人。今の恋人にも半ば心を閉ざしているが、やがてただ一つの技能を活かして手話通訳士となり、ろう者の法廷通訳を務めることに。そこへ若いボランティア女性が接近してきて、現在と過去、二つの事件の謎が交錯を始める……。マイノリティーの静かな叫びが胸を打つ、傑作長篇。
『きらめく拍手の音』
サッカー選手を目指した青年が、教会で出会った美人の娘にひとめ惚れ。やがて夫婦となり、二人の子どもを授かるが、他の家族とちょっと違うのは、夫婦は耳が聞こえず、子どもたちは聞こえるということ……。韓国の若き女性監督が、繊細な語り口とやわらかな視線で、音のない家族のかたちをつむぐ。両親へのプレゼントのようなドキュメンタリー。
次回は、いよいよ映画『きらめく拍手の音』について語り合います!
撮影 チュ・チュンヨン 翻訳・構成 矢澤浩子