JR目黒駅からしばらく歩き、周りがすっかり住宅街になったころ、小さい一軒のギャラリーに行き着く。金柑画廊と名付けられたささやかなスペース。新進の写真家・伊澤絵里奈による個展「しぐさをなぞる」展を訪れた。

 派手さは、ない。けれど、何気なく過ぎる時間の味を噛みしめる快さと大切さを、切実に思い出させてくれる展示である。

©伊澤絵里奈

弟と夫を被写体にして撮る

 伊澤が被写体にしているのは、ふたりの男性。ひとりは、実の弟。彼女が写真を専攻する学生だったころから被写体になってもらっていて、かれこれ6年ほど撮り続けている。もうひとりは、彼女の夫。恋人だった時分にその姿を写真に撮るようになり、一つ屋根の下で暮らしはじめた今も折に触れカメラを向ける。

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 ふたりそれぞれの、特段に変哲もないふだんの様子が、画面に収まっている。身近な世界を撮った作品というと、つい家族のあいだの葛藤だとか、夫婦や恋人の性的なかかわりを暴露するような、過激なものを期待しがちだけれど、伊澤作品にそうした面は出てこない。ふたりの男性を通して、彼女の日常がただひたすらに綴られていく。

©伊澤絵里奈

 なぜ変わり映えしないふつうのシーンをわざわざ撮影し、それを作品にするのか。なんだか不思議に思ってしまうけれど、気心の知れた人物になら気兼ねなくカメラを向けられるからといった安易な理由じゃなさそうなのは、展示された一枚ずつの写真をずっと観ていてちっとも飽きないところからも窺える。

©伊澤恵里奈

日常に波風を立てたくない

 アーティスト本人が強く関心を注いでいるものを作品のテーマとするのは、ごく自然な成り行き。伊澤の場合、それが愛すべき身近な人と過ごす日常の時間だったということになる。聞けば伊澤は小さいころから、イベントごとが極度に苦手だったとか。運動会や遠足といった学校の行事も、週末や夏休みに行く家族のお出かけも。いつもどおりの平穏が何より好きなのに、なぜわざわざイレギュラーな行動をして、日常に波風を立てるのか。遠足に行くのはまだしも、行き帰りのバス内でも寸暇を惜しんでレクリエーションに参加させられるなんて、苦痛でしかない。

©伊澤絵里奈

 大人になった今も、うまくやり過ごすということを少し覚えたとはいえ、根本的な性向が変わるはずもない。なんでもない時間を人一倍愛する彼女は、それにかたちを与えてみようと考えるようになり、周りの光景を作為のないスナップショットに収め、できるだけありのままトレースしようと試みることとなった。その歩みの一端が、今展の作品群というわけだ。