ファンと感情をワリカンした男、矢野謙次

 人はどういう時に過去を振り返るのだろうか?

 それは目の前の現実が上手くいかない時だと思う。人生もプロ野球も…。ついに巨人が75年の長嶋監督時代の11連敗を更新する球団ワーストの13連敗。「負けたことがあるというのがいつか大きな財産になる」という『スラムダンク』の山王工業・堂本監督の台詞が身に沁みるチーム状況。で、しばしの現実逃避で思うわけだ。あの頃は強かったなと。栄光の原巨人時代、今は日本ハムで活躍する代打の切り札・矢野謙次と未来のスラッガー大田泰示がいた頃の話だ。今回の文春野球交流戦コラムは“野球ライター界の生きる伝説”日本ハム担当えのきどいちろうさんとの対戦形式アップというわけで、北の大地で躍動する「元・巨人」の男たちについて書こうと思う。

 あれは7年前の2010年のゴールデンウィーク中の話だ。しみったれたラーメン屋で遅目の昼飯を食べていると、当時スポーツ新聞社のカメラマンをやっていた美大時代の同級生から1本の電話が入った。

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「おまえ野球好きだっただろ。選手のロゴデザインする気ない? 手袋とかアンダーシャツに入れるロゴ」

「うーん、誰?」

「巨人の矢野謙次」

 その瞬間、ナルトを吹いた。ラーメン屋の中で携帯を握りしめ、「ヤル! 絶対ヤラせて!」と絶叫した俺は完全に狂ったと思われたことだろう。と言っても、広範囲に凝ったデザインは刺繍で再現できないので、イニシャルと背番号の“KJ48”フォント制作のみ。作業的には新人デザイナーのスキルでも出来るレベル。だけど、無性に楽しかった。慣れてくると矢野という名字に合わせ弓矢の家紋を参考に和風アレンジ。デザインのお礼にカメラマンづてにいただいた矢野謙次サイン入りバットは、今も部屋に飾ってある。

 このロゴデザインを担当して以降、東京ドームへ通う回数がさらに増えた。そして、あることに気付く。球場で「48番」のレプリカユニフォームを着たファンがやたらと多いのだ。失礼ながら、矢野は阿部慎之助や坂本勇人のようなレギュラー選手ではない。なのになぜ? すぐにその理由は分かった。若手時代から矢野はチームの大型補強に阻まれ出番に恵まれず、故障にも泣き、代打としての途中出場がほとんど。プレーからもその悔しい気持ちはビンビンに伝わってくる。「なんで俺をレギュラーで使わないんだよ!」と彼は野球の技術だけではなく、己の燃えるような「感情」をファンに見せていたわけだ。

 最近の負けを重ねる巨人に対して、ファンは結果だけに怒っているわけではない。首脳陣も含め、そこから「悔しさという感情」が見えてこないことにムカついている。あっさり凡退して失点し、淡々とベンチに帰ってハイ13連敗。だが矢野という選手は三振した直後、イラつきを隠そうとしなかった。つまり、悔しさという感情を多くのファンとワリカンしていたのである。こういう選手は、近年の巨人では矢野謙次しかいなかった。そんな燃える闘魂のKJロゴデザインがきっかけで頻繁に球場へ足を運ぶようになった俺が野球ライターになろうと始めたのが、ブログ『プロ野球死亡遊戯』というわけだ。

15年にトレードで日本ハムに移籍した矢野謙次 ©文藝春秋

チームを明るく元気づけるアイドル、大田泰示

 それから数年が経ち、野球ライターとして世に出て雑誌ヤングアニマルで巨人2軍リポートの連載を持つことになった。様々な選手インタビューをしに行ったが、岡崎郁元2軍監督の印象深い言葉がある。

「大田が1軍昇格して2軍は元気がなくなったんですよ! 彼の持っているキャラクター、明るさやエネルギー。身体がデカくてスピードがあるプレーの迫力。すべてをまとめて華がありますね。オーラと言っていい」

 個人的には、これこそ大田泰示という選手が持つ最大の才能、いわゆるひとつの“アイドル性”だと思う。だって特大のファールを放ち「大田160メートル大ファール」なんてスポーツ報知の一面を飾った選手は大田だけだ。巨人時代は規格外のホームランをかっ飛ばし今度こそはと期待させて、その都度インフルエンザや肉離れで故障離脱。挙げ句の果てにチャリで転倒。いつの時代もアイドルとして大事な要素は完璧すぎないことだろう。この人、本当に大丈夫かよ…と客に思わせる危うさ。そして時々見せる奇跡のような才能の儚さ。で、絶対にこんな奇跡は長続きしないと思わせる切なさ。大田泰示は危うくて、儚くて、切ない。

 今思えば、新人時代の大田に松井秀喜の背番号55を背負わせて比較するのはナンセンスだった。なぜなら「ゴジラ松井はスーパースター」で「大田泰示はアイドル」だからだ。演技派女優のサスペンスドラマとアイドル映画を同列に語ることほど野暮なことはない。大田に背番号55を背負わせる。それはグラビアアイドルにガチでラーメン屋修業をさせるようなものだ。もう期待そのものがズレている。昨オフの電撃トレードで移籍した日本ハムで33番を身につけた大田は髪を伸ばし髭を蓄え、ワイルドに自己最多の6本塁打。さらにヘッドスライディングで己のベルトを引きちぎり球場を沸かせる男。いくつになっても、やっぱり大田泰示は完全無欠のスーパースターではなく、チームを元気づける泥だらけのアイドルである。