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読売記者の質問に見え隠れする「コンプラ軍団」の一端

 こうした規約や法律を徹底的に研究し、抜け道や盲点を見つけ、居直る読売グループの勢力を、西崎は「コンプラ軍団」と呼ぶ。

 このコンプラ軍団を率いていたのが山口寿一で、現在の読売新聞グループ本社の社長だ。その読売新聞はいま、厳しい批判にさらされている。もうひとつの特集記事「読売『御用新聞』という汚名」によれば、前川前次官の出会い系バー記事についての批判が読者センターに相次いで寄せられているという。また現在の社会部長は山口社長に近く、「“山口組”と呼ばれる側近の中でも“直参”と評される存在」だそうな。

 前川前次官の記者会見の場で、「守秘義務違反では?」と問うたのも読売新聞の記者である。これに対し、「本来、守秘義務の壁と戦う記者の側からそうした質問をしたのには驚きました」と他紙の記者の批判が前掲記事にあるが、守秘義務を持ち出すあたりに、“コンプラ軍団”の一端が見えもする。

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福田康夫の義憤と予見

 ところで福田康夫が公文書管理について、現政権に義憤をいだくのは、公文書管理法の制定を主導したのが、ほかでもない福田康夫だったからだ。

いつも恬淡としている福田康夫元首相 ©榎本麻美/文藝春秋

 今年2月、朝日新聞に掲載されたインタビューでこう語っている。

「文書が残ることで日本の歴史は残っていく。正しい信頼できる資料を、みんなが納得できるような形で残していくことが必要だ。何が真実なのかわからないままお互いに言い合いをした結果、争いが生まれる。そういうことにしてはいけない」(注2)

 森友学園の土地売買の交渉記録の廃棄や、前川前次官の「総理のご意向」文書など、ここ数ヶ月の森友・加計の騒動を予見するかのようなコメントである。

 なお週刊文春史上、屈指のスクープといえる「野坂参三、同志を売った密告の手紙」(1992年)は、大粛清の最中、同志を売り処刑に追い込んだ野坂参三の手紙を見つけ出したことで生まれる。この共産党の名誉議長だった野坂参三を100歳にして除名させたスクープは、手紙ひとつを半世紀以上残していた、ソ連の徹底した文書保存の賜物であった。

注1)7ページ
注2)朝日新聞デジタル2017年2月2日