駅のプラットホーム。若い男女が新幹線の乗降口で手を握り別れを惜しんでいる。だが、時計の針が9時を指すとドアが閉まり、列車は走り出す。名残惜しそうに見送る女性――。そんな映像にあわせて次のようにナレーションがかぶさる。
「離れ離れに暮らす恋人たちが、週末を東京ですごし、また離れ離れに。
日曜、新大阪行き最後の『ひかり』。『シンデレラ・エクスプレス』と呼ばれています。こんなすてきな話を大切にします」
これはJR東海が「シンデレラ・エクスプレス」と題して放送したテレビCMである。その放送が始まったのは、いまから30年前のきょう、1987(昭和62)年6月17日のこと。翌7月20日まで約1ヵ月間放送され、話題を呼んだ。
遠距離恋愛をテーマにしたこのCMは、その2年前の1985年にTBSテレビで放送されたドキュメンタリー番組『シンデレラ・エクスプレス――48時間の恋人たち』をヒントに、JR東海の広報課の当時20代だった社員が企画した。CM制作にあたっては、電通のCMプランナーの三浦武彦ら同番組を手がけたスタッフが参加している。CMでBGMに使われた松任谷由実の「シンデレラ・エクスプレス」も、もともとはこの番組のためにつくられたものだった(三浦武彦・早川和良『クリスマス・エクスプレスの頃』日経BP企画)。
CM放送の2ヵ月前、1987年4月の国鉄民営化にともない発足したJR東海は、企業イメージづくりにあたり、同社の営業収入の大部分を負っている東海道新幹線を前面に押し出した。「シンデレラ・エクスプレス」は、それに加えて「鉄道は人と人との出会いを手伝う、コミュニケーションのツールである」とのコンセプトのもと制作された(広告批評編『広告大入門』マドラ出版)。これ以後も同じコンセプトのもと、ドラマ仕立てのCMによる各種の「エクスプレス・キャンペーン」が展開されることになる。とくに1988年のクリスマスシーズンに放送された深津絵里出演の「ホームタウン・エクスプレス『クリスマス』篇」は好評で、翌89年からは「クリスマス・エクスプレス」と題して92年までシリーズ化された。