いよいよ、全鉄道関係者・鉄道ファンが固唾を呑んで見守る大決戦が始まろうとしている。プロ野球交流戦、阪神タイガース対西武ライオンズ。東の私鉄の雄か、それとも伝統の関西私鉄か――。路線上、決して相まみえることのない東西の私鉄が、プロ野球の場で激突する!
と、いかにも大げさにはじめてしまったが、ともあれ日本プロ野球、“電鉄系”の親会社を持つチームは今ではタイガースとライオンズだけである。かつて、プロ野球にはたくさんの電鉄系球団があった。電鉄系球団の全盛期は2リーグ制がスタートした1950年。件のタイガース(当時は大阪タイガース)に加えて、西鉄クリッパーズ(後の西鉄ライオンズ)、阪急ブレーブス、近鉄パールス、南海ホークス、東急フライヤーズ、そして国鉄スワローズ。当時はセパあわせて14球団だったから、そのうち7球団、半分が電鉄系だったのだ。鉄道なくしてプロ野球なし。またもや大げさに言えば、そんな時代が間違いなくあった。
日本で初めて野球チームを作った人物は、日本で初めて電車を作った人物
さらにもう少し歴史を紐解けば、日本の野球と日本の鉄道、それはともに始まり、ともに成長してきたと言ってもいい。例えば、野球殿堂入りも果たしている平岡熙(ひろし=にすい+煕)という人物。明治初期、アメリカに渡って野球書を持ち帰り、「新橋アスレチック倶楽部」なる日本初の野球チームを作った男である。そして同時にこの平岡は鉄道技師でもあり、新橋~横浜間に日本初の鉄道を開業させたばかりの鉄道局に勤務していた。新橋アスレチック倶楽部のホームグラウンドは、新橋駅構内にあったともいう。おかげで、新橋(正確には今のカレッタ汐留があるあたり)は、日本鉄道の発祥の地にして日本野球発祥の地でもある。さらにこの平岡、後に鉄道局を退職して鉄道車両製造会社を興す。今の川崎重工に連なる工場で、1895年には京都市に初の国産電車を納入した。つまり、日本で初めて野球チームを作った人物は、日本で初めて電車を作った人物なのだ。
鉄道と野球の深い関係、それはまだまだ終わらない。鉄道網が全国に広がった明治末から大正時代にかけて、各地の鉄道局に野球部が誕生する。いわゆる“現業職”の多い鉄道という職種、職員の一体感を醸成するというのがその目的だったようだ。1921年には鉄道系のチームによる全国大会「全国鉄大会」も開かれている。中でも東京鉄道局野球部(現在のJR東日本野球部)は強豪中の強豪で、1935年には結成間もない巨人軍と対戦、実に二度までも巨人に苦杯をなめさせている。この頃の巨人はアメリカ遠征帰りで全国の実業団チーム相手に連戦連勝中。そんな巨人に勝つのだから、いかに東京鉄道局が強かったのか。いずれにしても、鉄路に乗って全国に野球は広がり、鉄道系チームを中心に切磋琢磨、こうして野球大国・日本の礎は築かれたのである。