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進路希望は「メキシコ」って書きました

――生でプロレスを観たのはいつでしたか?

ライガー 中学の1年か2年ですね。新日本プロレスが昔でいうところの広島県立体育館(当時の名称)に遠征に来るというんで、それは観に行きました。「藤波辰爾が来る!」っていって。

 

――生で観るのと、テレビで観るのってどんな違いがありますか。

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ライガー やっぱり生はいいですねえ。「オォー!」ってなりましたね、ホントに。(藤波さんが)ドラゴン・ロケットで飛んだのを生で見て迫力がスゴかった! あとね、国際プロレスさんも来たんです、県立体育館に。デスマッチをやったんですよね。アニマル浜口さんかマイティ井上さんだったと思うんですけど、もう血が垂れてるんですよ、ダーッと。うわぁ、スッゲーって思って。死ぬんじゃないの、この人ってぐらいダーッと血が出てるんですよ。それはもうほんとに衝撃というか、ショックでしたね。

――中学生の頃はもうプロレスラーを目指して?

ライガー それまで体育会系のクラブに入ってなかったんで、まずは体を鍛えなきゃいけない、身長を伸ばさなきゃいけない。それで水泳部に入りました。

――それは身長を伸ばすために。

ライガー そのためだけです。水泳でいい成績取ろうとかは考えてない。たまたま背泳ぎの選手がいなかったから「お前やれ」って言われて背泳ぎの選手になって。そしたら、人数も少なかったからか、新人戦で1位とっちゃったんです。だけど、嬉しくないんですよ。(水泳は)どーでもいいから!(笑) とにかく背を伸ばしたい、それしかないんですよ。僕の人生設計は、中学を卒業したらプロレスに入るってなってましたから。でも、その当時のプロレスのパンフレットを読むと、新人募集があっても中卒の人は身長規定が「176cm~」なんです。その頃、170cmもなかったですから。

――結局、高校へは行かれるんですよね。

ライガー ひとりでずっと考えてたんで、やっぱりバカなんですね。アドバイスをしてくれるような人もいなかったし。雑誌を見ると、プロレスラーって、スクワットを毎日3000回するって書いてあって、いま思うと誇大表現だったんですけど、でも広島の田舎の坊主だから、スゲー! って思っていた。自分もこれができなきゃプロレスラーになれないなって。水泳やりながら、ウエイトトレーニングもやり始めちゃったんですよ、成長期に。そうしたら中学3年の時に、スクワット3000回ができたんですよ。だから筋肉がついて足も太くなって、身長は伸びない(笑)。それで仕方なく高校生のうちに伸びればいいかと思って高校に行って、レスリング部に入ったんです。

――それもあくまでもプロレスのために?

ライガー そう。国体で3位とかになったりしたので先生からは「大学に行け」って言われたんですけど「絶対行かねぇよ、俺」って。当時、メキシコのレスリングスクールは身長一切関係なく入れて、マッハ隼人選手が逆輸入みたいな感じでそこから国際プロレスに入ったんです。これだ! って思って、学校の進路希望の紙に「メキシコ」って書きました(笑)。

 

自分がセコンドのどこにいるか探しながら「あっ映ってる、映ってる」って(笑)

――実際、メキシコ経由で新日本プロレスに入門されデビューするわけですが、新人時代、たとえば船木(誠勝)さんは映画とかが好きだったりしてたと思いますが、そういう趣味の話はしてたんですか?

ライガー 船木はどっちかというと『仮面ライダー』とか、そんなのが好きだったんじゃないかな。橋本(真也)は『北斗の拳』とかアニメが好きで。本人はラオウのつもりでしたからね。「お前ちょっと無理だろう、その体形じゃあ」って(笑)。どっちかというとザコキャラの体形に似てるなって思いますけど、本人は、「俺はラオウだ」って。

――あははは!

ライガー 幸せだな、こいつって思って。怪獣好きっていうのはあんまりいなかったですね。僕ぐらいだったんじゃないかな。

――初めてテレビでご自分の試合が中継された時はどうでしたか?

ライガー スッゲー嬉しかったですよ! それまでもオフの時にはプロレス中継観るじゃないですか。まず自分がセコンドのどこにいるか探しますもんね。あっ映ってる、映ってるって(笑)。みんなそうなんじゃないかなぁ。口には出しませんよ。「ちゃんとしろ」って先輩に怒られますから。でもね、自分が映ったら嬉しいもんですよ。