ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』(文藝春秋)

 多忙なビジネスマンにとって、世界史を本格的に再学習することは、相当な時間的負担になるはずだ。同様に、大混雑が当たり前で長蛇の列をなす美術館からも足が遠のいているのではなかろうか。入場に一時間待ちは当たり前、昨年開かれた台北國立故宮博物院展などは三時間以上待たされた。

 その両方の要望にお手軽に応えてくれるのが『名画で読み解く「世界史」』(祝田秀全監修、世界文化社)である。監修者は代々木ゼミナールの人気講師だ。

 いまさら予備校講師から学ぶことがあるのかと思われるかもしれないが、高校時代に学習したはずの微積分も古文・漢文もすっかり忘れてしまっているのだから、世界史だけが例外であるわけはない。

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 本書は古代文明と人類の歴史、イスラーム勢力の拡大、西洋社会の形成、近世ヨーロッパと宗教戦争、近代国家と帝国主義の五章立て。副題に人類五〇〇〇年のドラマとあるが、ヨーロッパと中東が中心で、中国やインドについてはわずかのページを割くだけだ。

 イラクではISISがイスラームの教えだとして、古代文明の偶像破壊という蛮行を行っているが、一六世紀のイランでは盛んに肖像画が描かれていた。ISISが目の敵にするシーア派はこの頃にイラン全土に浸透したと本書では解説されている。名画に接することで、その皮肉な事実をひと目で理解できる効果は絶大だ。

 また、EU離脱問題が懸念されているギリシャについては、ドラクロアが描いた「キオス島の虐殺」をつかって、一九世紀初頭の独立戦争についての解説が試みられている。オスマン帝国による弾圧と西欧列強の介入。二〇〇年たってもその基本的な構図は変化していないように見える。

リスクは航海用語だった

 本書に掲載された一一一枚の名画の中で一枚だけ異質な存在がある。一五世紀に作成されたトスカネリの「球体世界地図」だ。大航海時代に作られた航海のための地図、すなわち海図である。その海図の変遷から世界史を語り起こしたのが『海図の世界史』(宮崎正勝著、新潮選書)である。

 海図がなければ大洋を越えることはできず、したがって文物の交換や貿易は行われず、人々は土地に縛り付けられ、中世から抜け出ることはできなかったはずだ。コロンブスなどの冒険家たちがリスクを取って外洋に乗り出したからこそ、現代の繁栄が保証されたのだ。ところで、そのリスクという言葉がアラビア語に由来する航海用語だったということを本書で知った。「海図のない航海」を意味していたのだという。

 本書は時代別にヨーロッパを中心とした旧い世界、アフリカ・インド・ユーラシアを含む第一の世界、南北アメリカの第二の世界、オセアニアと太平洋の第三の世界に分けて、航海史をひも解きながら、世界の拡張とその結果としての政治経済体制の変遷などを概観している。大洋を越える雄大な気持ちで世界史を楽しめる一冊だ。

 現代のリスクといえばお金に関するリスクがまず思いつくはずだ。お金のリスクを知るためにはきちんとした帳簿を作らなければならない。『帳簿の世界史』(ジェイコブ・ソール著、文藝春秋)は、古代ギリシャやハンムラビ法典の会計原則から、会計技術で繁栄したメディチ家の興亡、東インド会社と複式簿記、ルイ一四世の会計顧問、ウェッジウッドの成功と帳簿分析、アメリカ建国の父たちと国庫、そして大恐慌とリーマンショックという時系列で世界史を語る好著だ。

 著者は歴史学と会計学を専門とする米国人。それゆえに読み応えがある。本書のカバーは一六世紀オランダの画家レイメルスワーレの「二人の収税人」である。

 一人が実直そうに帳簿を付け、もう一人が顔を歪めて何かを糾弾しているようにみえるこの絵は、当時の会計の腐敗を風刺したものだといわれている。世界史は名画からも学ぶことができる証左でもある。

帳簿の世界史

ジェイコブ ソール(著),村井 章子(翻訳)

文藝春秋
2015年4月8日 発売

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