湯川氏と安倍首相
かくして、「積極的平和主義」は混乱の極みでしかなく、混乱のうちに「戦後」を終わらせようとしている。先に述べたように、「積極的平和主義」への転換は、根本的転換である。それが「戦後」に終止符を打つものと呼ぶに値するのは、戦後長らく維持されてきた国民的コンセンサスに真っ向から対立するからである。すなわち、戦後紆余曲折がありながら、保革両勢力のかなりの部分が共有してきた戦後日本の平和主義の最大公約数は、「戦争に強いということをナショナル・プライドとすることはもうやめよう」という理念ではなかっただろうか。この理念は、PKO活動等への参加によって自衛隊の活動範囲が海外に広がったときも、またイラクに対して派兵に近いことをやった小泉政権においてすら、変更されなかった。これに対し、「積極的平和主義」は、敵を積極的に同定し、それを無力化する政策を意味する。してみれば、この政策を追求するにあたって、「戦争に強い」ことは必須条件とならざるを得ない。
この転換が混乱でしかないのは、今回の事件で犠牲となった湯川遙菜氏の人生が奇妙な形で明確に示した。報じられているように、湯川氏は、PMC JAPANと称する民間軍事会社を経営していた。しかし、この会社にまともな活動実績があるとも到底思えず、イラクやシリアへの渡航も、どうやら「実績づくり=箔付け」を動機としていたように見受けられる。要するに、湯川氏の事業が奇妙に見えるのは、それが彼のかつての仕事であるサバイバルゲーム愛好者向けのミリタリーショップの経営の延長線上にあるようにしか見えないためである。このことは、われわれに疑念を起こさせる。この人は、本物の戦争と戦争ごっこの区別が付いていないのではないか、と。
一個人として見た場合、湯川氏の人生は深く同情を誘うものである。商売に失敗し、妻に先立たれ、自殺未遂をし……と。かつ、ここで目を惹くのは、湯川氏が一度「男であること」を捨てようと試みている(陰茎の切断による自殺未遂)という事実だ。ミリタリズムは、基本的に男性的文化であり、多くの少年たちが戦争ごっこに興じる。無論、大多数の少年は、戦争と戦争ごっこの違いをやがて理解する。湯川氏の場合、ミリタリーショップの経営を生業としていたことは、男性性の強さを連想させる。しかし、後に彼は、自らの男性性を物理的に否定するという過激な行動に出たわけである。言うなれば、彼は自己内の「男らしさ」を求める衝動を殺そうとした。ところが、彼はPMCの経営という形で、今度は遊びでは済ませられない領域へと踏み込んでゆき、悲惨な最期を迎えるに至った。
男らしくありたいのだが同時に自らの男性性に違和感を覚え、それでもやはり男性性へのこだわりを捨てられず奇矯な行動に走る――この行動様式は、「積極的平和主義」の本質と一致する。「戦争に強い日本」を「取り戻す」ことを標榜しながら、その戦争はアメリカによって用意され、参戦を命じられるものでしかない。「本物の男になりたい」のだが、そうしようとすればするほど自立性を失う。興奮するとつい勇ましい言葉を口走ってしまう我らが総理とは、おそらくこうして支離滅裂な形で総決算に向かっている日本の「戦後」を象徴する人物なのであろうし、また終わらせるのにふさわしい人物であるに違いない。