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感情論の時代だからこそ「なぜ」を問い続ける――哲学者・萱野稔人インタビュー #2

感情論の時代だからこそ「なぜ」を問い続ける――哲学者・萱野稔人インタビュー #2

「カネと暴力」の哲学者が語る「考えることの効用」

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感情論では何も生まれません

――例えば共謀罪をめぐっては、萱野さんのコメントが一部で話題になりましたが……。

 

萱野 いや……あれは困ったんですよね……。この問題を考える上で前提となるのは、「なぜ共謀罪が必要なのか」です。国際的な組織犯罪を抑止することを目的に、180カ国以上が締結している、G7も日本を除いて全部入っている国際組織犯罪防止条約という国際条約があります。これを締結していないのはイランや南スーダンといったテロ対策が取れていない国だけです。当然日本は入らなければならない。そしてこの国際条約に入るには、共謀罪を作る必要があります。民進党は「作らなくても入れる」と言っていますが、無理なのが現実です。国際的な合意として共謀罪を作ることが求められているんです。この事実が共謀罪について考える前提です。その前提を共有することなく、賛成と反対の議論をしてもかみ合いません。――と、こういうことを言いたかったのですが、発言の一部が切り取られて炎上してしまった……。

――そうだったんですね……。前提を理解することなく、感情論で物事が進められてしまうというか。

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萱野 そうです。感情論では何も生まれません。分野問わず、前提を考え、根拠付ける作業が大切です。例えば、数年前、スキージャンプ競技でスキー板の長さが制限されるようになりました。これを受けて国内では「日本人選手が勝ちすぎたからだ」「日本バッシングだ」なんて騒がれましたが、これは完全な感情論です。なぜならこの制限にはきちんとした根拠があるからです。要するに、身長比に対してスキージャンプの板が長いと、背の低い人の方が有利になるんです。板が長ければ長いほど浮力に換算されますから。そういう1つのスポーツ科学に裏付けられた話なんです。これは直接的には哲学の話ではありませんが、根拠を考えていく上で必要な知的な基礎力は、究極的には哲学にあると思っています。

哲学とは「なぜなら」という根拠を把握する作業

――では萱野さんの考える哲学の効用は、物事に根拠付けをすることができる、ということですか。

萱野 はい、哲学の効用は、言葉を使って物事を明らかにすることができる、そして知的な基礎力がつくことだと思います。言葉を使って考えることは、知的な活動の根本にあるものですよね。そして人の知性はその考えをどこまで高められるかで決まってくる。哲学とは言葉を使って考える営み、言葉を使った思考の訓練です。とても分かりやすく言えば「哲学を学ぶことによって頭が良くなる」。われわれは今、情報化社会を生きていて、フェイクニュース含めさまざまな情報のなかを生きている。そんな時代だからこそ、感情に左右されることなく、物事を明らかにする、「なぜなら」という根拠を把握する作業がとても重要です。

――最近は大学の文系学部廃止問題も浮上してきていますが、哲学も含め、人文学を大学で学ぶ意味についてはどう思われますか。

萱野 文系学部廃止には結構賛成なんです。決して文系の学問がいらなくなったという意味ではありません。それらを社会に対して何らかの形で還元する必要があると思っています。教員の中には「哲学は役に立たないからこそ価値がある」みたいなことを開き直って言う人が結構いるんですが、それは「趣味でやって」と思います。自己満足で研究するならば、大学で研究する必要はありません。哲学の役割、学んでいる学問の役割、重要性を第三者に説明できないならば駄目です。