パンス ヴィジュアルとして表出される彼女の姿や身につけるアイテムは表層的なんだけど、そこで歌われる主題には一貫性がある。刹那的だけど他者を振り払ってしまうわけではなくて、むしろ逆に依存しちゃう感じを覗かせる。そんなに入り組んでるわけじゃなくて、擬古文調を取り払えば普通にラブソング。
当時中高生だった僕の周りでも、スクールカースト問わずみんな好意的に受け止めていた要因は、そこなんじゃないかなと思う。卒業間際に行ったカラオケでもギャルが「すべりだい」を歌っていた。自立とか孤独みたいなアプローチではなくて、結局、他者性に落ち着いてしまうあたりが普遍性を支えているというか、的確に空気を読んでいる感じがするんですよ。
コメカ 「他者」に対する強烈な不信みたいなものはこの人の作品からはあまり感じられない。不安はあっても不信は実はないというか。刹那的な美しさ以外に捉えられるものなど本質的には存在しないのだ、っていう屈託は感じさせるんだけど、そのことが孤独さへの自覚に回帰してくるわけではなくて、最終的に「他者」=ダーリンに対して「ぎゅっとしててね」と言ってしまう。それもまた刹那でしかないわけだけど、でも「ぎゅっとしててね」「ここでキスして」って言えちゃうんだよね。
「私の価値観ってすごい普通」自意識の表出を避ける手腕
コメカ「私の中にある価値観ってすごい普通だから、だからプロになっても大丈夫って思ったんです」って発言してるけど、実際この人が持ってる「他者」への甘さっていうのは、日本社会の中で「すごい普通」だと思う。優しい人だと思うんだけどね。椎名林檎って世間的なイメージに反してぜんぜん情念の人ではなくて、「愛してるって言わなきゃ殺す」(戸川純「好き好き大好き」)ではないわけだよ(笑)。
パンス 個人対個人、もしくは集団の中でも、上手く立ち回るということ。そこから逸脱してしまうレベルの自意識の表出は避ける。実際、日本の社会というのはそういう価値観が重宝されて動いているわけで、きちんと押さえた上で「普通」の価値観を体現している。でも見せ方としては、情念的なものやラディカルな雰囲気を散りばめて成立している。
音楽やカルチャーだけじゃなくて、社会全体の話として、最大公約数的な層に受け入れられるよう、決してレールを踏み外さない、「地雷を踏まない」ようにしながら巧みにサバイブしていかなければならないというプレッシャーは、年々上がっている。