11月13日、小沢健二の13年ぶりのニューアルバム『So kakkoii 宇宙』がリリースされた。
1990年代に「ラブリー」「痛快ウキウキ通り」などのヒットで知られ、当時一部で大きな人気を得ていた「渋谷系」と呼ばれる音楽ムーブメントのなかで強く支持された小沢だが、2000年代に入るとライブ活動やメディアへの登場などを一切やめてしまい、その現在が謎に包まれた存在となっていた。
2010年に13年ぶりのコンサートツアー『ひふみよ』を行い、2014年には『笑っていいとも!』に登場し16年ぶりにテレビ出演、2017年には「流動体について」で19年ぶりのシングル曲リリースと、ここ10年の「復活」以降、満を持しての今回のアルバムリリースであると言える。
私はこの『So kakkoii 宇宙』という作品に対して、祝福したい気持ちと失望した感覚とを、同時に抱いている。小沢のつくったポップスの何が私を喜ばせ、何が私をがっかりさせたか、書いてみたいと思う。
「刹那」への不安を感じさせた90年代のオザケン
小沢健二は2003年、先述の「痛快ウキウキ通り」や筒美京平作曲による「強い気持ち・強い愛」など、90年代半ばに発表したシングル曲を集めたベストアルバムを、『刹那』というタイトルでリリースしている。自身が社会から最も強い支持を得た時期、「オザケン」として聴衆から愛された時期の楽曲群を、彼は『刹那』と名付けたわけだ。
この時期の小沢の楽曲には、「喜びを他の誰かと分かりあう! それだけがこの世の中を熱くする!」(「痛快ウキウキ通り」)という愛と熱情の迸りと、「今のこの気持ちほんとだよね」(「強い気持ち・強い愛」)という不安と覚醒の心情が共存している。
瞬間のなかで共有される熱情こそが世界を照らす光であり、そしてその熱情は瞬間的であるからこそ持続しない。その「刹那」の瞬間が、子どものように楽しげでファナティックな小沢の歌声で歌唱され、ブラックミュージックを基調とした祝祭的なサウンドで演奏されることで、他に替えがたい普遍的でヒューマンなポップスを形作っていた。
『So kakkoii 宇宙』の楽曲群は、一聴すると90年代半ばに小沢が展開していたサウンドイメージに近い印象を受ける。